四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

「正々堂々」の呪縛と高校野球――秋田の春、そして甲子園のリアル

もうすぐ秋田の高校野球も開幕。  

秋からの実力でいえば、明桜と修英――この私学2校が一歩リードしている印象です。

オッサンが毎年推している能代松陽と能代高校の新チームが、一冬越えてどう変わっているか。  
夏の予選まで、もう90日ちょっと。あっという間に夏がやってきます。

一方、現在開催中の春のセンバツ甲子園。  
今年も話題に事欠きません。

たとえば、習志野高校に持ち上がった「サイン盗み」疑惑。  
“正々堂々”を強調しすぎると、野球本来の面白さが失われてしまうのではないか――そんな思いが湧いてきます。

「サイン盗み」と聞けば、確かにイメージは悪い。  
でも、野球という競技は、そもそも“賢い者が勝つ”スポーツです。  
もし「正々堂々」だけを求めるなら、牽制も盗塁もバントもトリックプレーもNG。  
弱者が強者に勝つには、知恵しかない。偵察禁止なんて、ありえません。

運動能力の優劣だけを競う、味気ないスポーツに野球がなってしまう。  
社会だって、ずる賢い奴らが勝つのが現実です。

高野連は、過度な純粋さを高校球児に求めすぎているように思います。  
ペナルティのないルールに、性善説を期待しても無理がある。  
勝った者が強い。強豪校ほど、うまくやっている。  
ゲームを制するには、相手の上を、裏を突くしかない――それが野球です。

今回の件でも、高野連は「ルールとマナーの遵守」を強調。  
でも、多くの日本企業と同じで、コンプライアンスは建前だけ。  
それでも不祥事は起きるし、叩けばどこも埃が出るのが常。  
甲子園の高校野球も、まさに社会の縮図。  
賢い者が勝ち上がり、生き残っていく世界です。

そもそも球技は、相手の隙を突く競技。  
「そこまでして勝ちたいのか?」という声もあるけれど、現場は「そこまでしてでも勝ちたい」はず。  
企業だって、生き残ることが第一原則。  
違法行為も、バレなければ罰はない。  
ただ、虚偽やウソは誰しも心が痛む。  
だからこそ、ルールのスレスレでの迷いは、拡大解釈の中で自分の心と向き合うことになる。

競争原理からいえば、甲子園は私学の独壇場になるのが自然。  
進路を選ぶのは選手自身。選手目線では、チーム構成上の不平等はない。  
ただし、私学と公立、都市圏と地方圏――部活としての野球部の格差は確実に存在します。

高いレベルでプロや甲子園を目指す選手と、野球そのものの楽しみを優先する選手。  
取り組み方は人それぞれ。  
それを一括りにしてしまえば、チーム間の差は歴然。  
極論すれば、リーグ戦にするとか、大会を私学と公立で分けるとか、そんな話にもなりかねない。  
でも、それは現実的ではありません。

同じスポーツ競技である以上、共通のルールで戦うのが大前提。  
球数制限、サイン、特待生制度――ルールを敷くなら、ペナルティも必要。  
性悪説でいくなら細部までルール化。  
性善説でいくなら、紳士協定で暗黙の了解を。  
でも、暗黙化したいけど、結果できない。  
ならば、いっそのこと校則のように、ひとつひとつ細かくルールで縛るしかないのか。

それにしても、高野連は甲子園の高校球児に「虚像の高校生らしさ」を求めすぎている。  
その結果、野球本来の面白さが失われてしまっている。

数年前には、花巻東のカット打法にイチャモン。  
今大会では、習志野のブラバン応援にまでイチャモン。  
次は何に文句をつけるのか――そんな気持ちになります。

では、またです。