大館商、秋田商、大曲農、そして明桜高校で監督を歴任した
三浦第三氏が自宅で死去との訃報が入ってきました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
ネット上にあった過去の記事を検索してみました。
経法大・三浦監督に育成功労賞 秋田商など率い30年←クリック
またさらに、熱球通信さんのサイトからも 、
経歴をあらためて調べてみました。
昭和53年~昭和59年 秋田商業
平成元年~平成6年 秋田商業
平成9年~平成12年 大曲農業
平成23年~平成25年 明桜高校 と確認できたのはここまで、
それ以前は、大館商業の監督として指導していたと思っております。
やはり印象深いのは、
甲子園大会での高山投手で夏春夏の3季連続出場時でしょうか。
通算6試合 3勝3敗
1979 昭和54 夏 第61回 2回戦 秋田商 ● 2 - 5 ○ 広島商
1980 昭和55 春 第52回 1回戦 秋田商 ○ 6 - 1 ● 鹿児島商工
2回戦 秋田商 ○ 9 - 3 ● 静岡
準々決勝 秋田商 ● 0 - 2 ○ 帝京
1980 昭和55年 夏 第62回 2回戦 秋田商 ○ 3 - 2 ● 田川
3回戦 秋田商 ● 0 - 3 ○ 瀬田工
予選ではこの2試合、
第55回1973年(昭和48年)決勝
大館商/ 100 000 000- 1
秋 田/ 000 000 11x -2
1973年の当時の記憶は、ほぼありませんが、
後に、なにかの映像で、終盤1-0でリードしている際の、
ベンチで選手を鼓舞するシーンを記憶しています。
この時期、大館地区で、甲子園に最も近かったチームは、
大館商業でした。
第62回1980年(昭和55年) 決勝
能 代 001 000 000 00- 1
秋田商 000 000 001 01x -2
※延長11回
このゲームも緊迫した決勝戦でした。
能代高校強力打線VS全国屈指の本格派投手、
延長戦での激闘、忘れられない決勝戦のひとつです。
さて、最近も明桜高校の監督として復帰し、70歳を越えても
シートノックをする姿が印象的でした。
最後の教え子となった明桜高校 野球部の選手たちが
甲子園で躍動する姿を見たかったことでしょう。 残念です。