「昭和の母語と令和の母語──WBC独占配信から考える世代の断層」

2026年のWBCがNetflix独占となり、地上波では一切放送されないというニュースを聞いたとき、私はひとつの時代が静かに終わったような感覚を覚えました。野球は長い間、日本の“国民的スポーツ”として、テレビとともに歩んできました。特に昭和世代にとって、野球中継は家族の団らんの中心であり、夏の甲子園は季節の風物詩でした。テレビの前に家族が集まり、同じ試合を見て、同じ瞬間に歓声を上げる。そんな「共有された時間」が、昭和の家庭には確かに存在していました。
その野球が、ついにネット配信だけになる。これは単なる放映権の問題ではなく、昭和文化がゆっくりとフェードアウトし、令和の価値観が主流になった象徴のように思えます。もちろん、時代の流れとしては自然なことです。しかし、80代以上の昭和世代にとっては、ネット配信という仕組みそのものが“文化圏外”です。彼らはテレビとラジオを中心に育ち、ネットの恩恵を受けることなく人生を歩んできました。野球と相撲は、彼らにとって「触れてはならない領域」だったのです。
この出来事をきっかけに、私は「世代ごとの文化の母語」について考えるようになりました。人は10代の頃に触れた文化が、その後の人生の“基準”になります。音楽、スポーツ、娯楽、価値観──すべてが10代で形成され、その後の好みや行動を左右します。昭和一桁生まれの父の世代は、戦中戦後の混乱の中で青春を過ごし、娯楽といえばラジオと映画、音楽は流行歌と軍歌、スポーツは野球と相撲でした。彼らの文化の母語は、今の若い世代とはまったく違います。
私自身も、昭和の文化圏で育った最後の世代だと思います。テレビ、歌謡曲、野球、相撲、そして“空気を読む”という日本独特のコミュニケーション。これらは身体に染みついていて、今でも自然に理解できます。だから、同年代や上の世代と話すと、どこか安心します。話題のテンポ、笑いのポイント、価値観の前提が同じだからです。
一方で、年下の世代と話すと、どこか噛み合わない瞬間があります。彼らの母語は、スマホ、SNS、YouTube、ゲーム、個人主義、効率性です。情報は自分で選び、自分のペースで消費する。価値観も多様で、共通の話題よりも“自分の好きなもの”が優先されます。昭和の「空気を読む文化」は、令和では通用しません。
特にゲーム文化は、私にとって完全に“外国語”です。スーパーマリオを触ったこともなく、プレステのコントローラーを持ったこともありません。クラス会でもゲームの話題は出ませんでしたが、社会に出ると年下の世代が圧倒的に多く、ゲームの話題は厚みがあります。彼らにとっては当たり前の文化なのに、私はその言語を話せない。そんな軽い葛藤を覚えることがあります。
しかし最近は、それでいいのだと思うようになりました。世代ごとに文化の母語が違うのは自然なことで、どちらが優れているわけでもありません。昭和の文化には昭和の良さがあり、令和の文化には令和の合理性があります。大切なのは、互いの文化を否定せず、「違い」を理解することなのだと感じます。
WBCのNetflix独占は、昭和文化がゆっくりと幕を閉じ、令和の価値観が主流になる転換点でした。しかし、昭和の文化が消えるわけではありません。私たちの中に確かに残り、人生の基準として生き続けています。世代の違いを楽しみながら、自分の文化を大切にしていきます。
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