四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

戦後秋田県野球界で私が最も記憶に残っている選手~高校野球編

NPO法人秋田県野球フォーラム 「熱球通信」 では 「100人アンケート 戦後秋田県野球界最も記憶に残っている選手」 を実施中です。戦後の秋田県出身の野球選手の中で最も記憶に残っている選手を1人挙げてください。ポジション及びプロ・アマの別は問いません。jstaff@cna.ne.jp またはfax 018-829-0973(24時間OK)にて。

http://blog.livedoor.jp/jstaff1235/archives/52135733.html

 

さて今日は土曜日なのでお休み。勝手に上の企画考えてみました。たった一人では無理なので、思いつくまま綴っていきます。本日は高校野球編、一から綴るのは大変なので 前ブログからの記事を引用してみました。

 

 

1976 昭和51 夏 第58回   秋田商 武藤選手

1978 昭和53 夏 第60回   能代 高松投手

1990 平成2 夏 第72回   秋田経法大付 中川投手   

2011 平成23 夏 第93回  能代商業 保坂投手、畠山選手

 

戦後70年のチームとしては、1984年の金足農業がベスト4に進出したりと、記憶に残る甲子園のゲームとしては秋田県ではベストだと思います。ただ選手個人として考えた場合は、予選や甲子園のプレーで強烈な印象が決め手になります。また その後プロ野球で活躍した選手は、後日秋田県出身のプロ野球編で綴ろうかと思っています。

まあ いろいろ考えたり、思い出したりしますが、秋田県高校野球を1969年の小学校2年から見続けてきて、特に心が揺さぶられたシーンは、この2試合の2場面。

能代高校が14年ぶりの甲子園を決めた、7回表の高松投手の逆転ツーラン。

そして2011年の3回戦 能代商業VS如水館戦、 9回裏のセンターオーバーの長打をショート畠山選手の大遠投で本塁タッチアウトにした、奇跡の中継バックホームこのワンプレーは、私の中では、秋田県高校野球史に残るビックプレーです。

企画は秋田県高校野球なのですが、能代市のチームからの選出になったのは、私が能代市出身だからでしょう。高校野球は選手が主役なのは当然なのですが、さらに強い思い入れを持って観戦したり、応援したりできるのは郷土、地域に縁や愛着があるチーム、選手だと私は思っています。

もちろん100人いれば100通りの意見がありますので、異論反論、様々な意見があるかと思います。ただこのブログは、私的な個人ブログなので独断と偏見で好き勝手に綴っております。その点はどうかご容赦くださいませ。

さて明日から夏の甲子園が開幕、今夏も、さらにこれからも秋田の高校野球には、期待して注目しています。

 昭和52年奥羽大会決勝 決 勝 (7月31日) 能 代(秋田) 000 000 200 2 秋田商(秋田) 100 000 000 1 能代は昭和38年以来、14年ぶり2回目の夏の甲子園出場

 

1978年の夏の甲子園の箕島戦での投球シーンが、2016年の週刊朝日甲子園増刊号に掲載されているのがスゴイ。今回は、打撃のシーンで取り上げさせていただきました。

 

 

 

3回戦 2011/08/16(火) 能代商(秋田)-如水館(広島)
13:16 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
能代
如水館 2X
(延長十二回)

あの有名な甲子園の決勝戦 松山商業VS熊本工業戦での奇跡のバックホームアウト、私の中で、そのプレーに匹敵するのは、2011年の夏の甲子園での、能代商業VS如水館戦の中継バックホームこのサヨナラ阻止の本塁クロスプレーでのアウトこそが戦後の秋田の高校野球のワンプレーでは、最高のシーンです。