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【昇降機メーカー編 ㉗】高松で始まった「電車通勤」という新しい日常

【昇降機メーカー編】高松で始まった「電車通勤」という新しい日常

 

 


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高松で始まった「電車通勤」という新しい日常

高松市に異動になってほどなく、私の通勤は電車になりました。東北の地方都市であればクルマ通勤やバス通勤が多いのですが、四国の県庁所在地――いや、中四国の県庁所在地は路面電車や私鉄が充実しているのが特徴です。神戸では地下鉄でしたが、高松では私鉄。生活の足が変わるだけで、街の表情も変わって見えるものです。

琴電琴平線との“再会”がもたらした不思議な感覚

私が毎日通勤で使っていたのは、琴電琴平線という電車です。この車両は京浜急行や東急の電車の払い下げを、塗装を塗り直して運行しています。もしかしたら20代の頃に利用していた車両に、時と場所を変えて再会していたのかもしれません。そんな偶然が、毎朝の通勤に少しだけ不思議な感覚をもたらしていました。

 瀬戸内の穏やかさと「温暖な東北」という言葉

高松のショッピングセンターはイオンとゆめタウン、百貨店は三越と天満屋。街は穏やかな瀬戸内に面しており、生活に必要なものが過不足なく揃っています。

神戸の現場で一緒だった四国の協力業者さんから「温暖な東北だと思って来てください」と言われましたが、その言葉は現実でした。東北出身者として、西日本の暮らしで何よりありがたかったのは、冬に雪掻きがないことです。道路が凍らず、朝の出勤前に雪をどける必要もない。これだけで生活の負担が大きく違いました。

 3年のつもりが9年へ──時代の転換点を見つめた日々

3年くらいの滞在だろうと思っていた高松には、結果的に9年間いました。この9年の間には、リーマンショックの不況期、2011年の東日本大震災、スマートフォンの出現など、今につながる大きな出来事がいくつもありました。社会が揺れ動く時代を、瀬戸内の穏やかな街から見つめていたことは、今でも印象に残っています。

四国にいながら見届けた、故郷・秋田の小さな光

そしてもう一つ。秋田県代表の夏の初戦13連敗が止まったのも、私が四国に住んでいた時のことでした。遠く離れた土地で、故郷の高校野球に小さな光が差した瞬間を見届けたことは、忘れられない記憶です。