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【昇降機メーカー編㉖ 】選ばなかった未来は、すぐ隣を歩いていた

選ばなかった未来は、すぐ隣を歩いていた

 


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四国への転勤と、気づけば越えていた年月

2008年、私は神戸から高松の四国営業所へ転勤となりました。

昇降機メーカーへ転職してから12年目。当時ふと気づいたのは、すでに前職で働いた年数を超えていたことでした。

転職した当初は「新しい業界に挑戦する」という意識が強くありましたが、年月を重ねるうちに、いつの間にか昇降機業界でのキャリアの方が長くなっていたのです。

百貨店勤務時代を続けていたら

西日本勤務が続く中で、私は何度も「もし百貨店勤務時代を続けていたら」という思いに触れることがありました。

その理由は、転勤や出張で訪れた街の多くに、かつての勤務先グループの店舗があった、あるいはその名残が残っていたからです。

三宮、加古川、西神、高松、徳島、松山――。

訪れる街ごとに、かつての職場とつながる風景がありました。

もし転職していなかったら、そのどこかの街で働き、暮らしていた可能性も十分にあったと思います。

もうひとつ存在した現実的な未来

もちろん、その未来が実現するためには条件もありました。

百貨店グループが自主再建に成功し、既存店舗がそのまま営業を続けていること。

そして私自身が退職せずに勤務を続けていること。

この二つの条件がそろえば、西日本のどこかの店舗で働く人生は決して夢物語ではありませんでした。

後から作り上げた空想ではなく、実際に起こり得た現実的な未来だったのです。

瓦町駅で感じたパラレルワールド

高松勤務時代、私が毎日利用していたのがことでん瓦町駅でした。

駅ビルには当時天満屋が入居していましたが、その場所はかつて百貨店グループの店舗が営業していた場所でもありました。

提携百貨店の経営破綻、そしてことでんの民事再生法。

瓦町駅はさまざまな運命が交差した場所でもあります。

そんな駅を毎日利用しながら、私は時々不思議な感覚を覚えていました。

「もし転職していなかったら、この建物の中で働いていたかもしれない」

その可能性は決してゼロではありませんでした。

選ばなかった未来が、目の前の風景として存在していたのです。

選ばなかった未来は消えなかった

人はよく「選ばなかった未来は遠くへ消えていく」と言います。

しかし私の場合は少し違いました。

選ばなかった未来は消えるどころか、選んだ未来のすぐそばに残り続けていたのです。

街の風景として。

建物として。

そして記憶として。

西日本各地を歩くたびに、もうひとつの人生の存在を感じることがありました。

それはまるで、別の世界線がすぐ隣を静かに並走しているような感覚でした。

今の人生と、もうひとつの人生

百貨店を離れ、昇降機メーカーへ進んだ人生。

そして、百貨店勤務を続けていたかもしれないもうひとつの人生。

その二つは遠く離れたものではなく、西日本の街々の中で何度も交差してきました。

人生の分岐点は、振り返ると本当に紙一重です。

選んだ未来と選ばなかった未来。

その距離は思っているよりも近く、時には同じ街の中で静かに並走しているのかもしれません。

当時は西日本の街を歩くと、そんなことをふと思い出しました。