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嗚呼 青春の横浜そごうも売却へ

今年入ってショッキングなニュースの1つ。

toyokeizai.net

この会社に新卒で入社してから約10年、20代前半~30代前半の青年期を過ごしました。転職してから4年後の2000年に民事再生法で倒産。

その後同社は西武百貨店との合併を経て、セブン&アイ・ホールディングスグループ下となり、売却先を模索する現在にたどり着きます。

結果を後から語られることは多々あります。80年代からバブル期までのそごうの全盛期の水島社長時代、倒産後は轟々の批判。当時の社員の一人として思うのは、それほどわるいことばかりではありませんでした。戦前の日本が戦後の連合国の視点から批判されることに、似ています。

むしろ外に出て気がつきますが、けっこう守られていたことは離れてみなければわからないこと。時代背景も良かったのでしょう。

あの当時の同期入社や先輩後輩で、今も残っている方はどのくらいいるのだろうか?倒産から吸収された身であれば、異動や出向になった人も多いかと思います。

もしおっさんもそのまま残っていたら、60歳の定年退職の年にこの現実と対峙したことになります。この状況であれば定年再雇用も難しいので、おそらく退職金を手にリタイア。年金支給の年までどうするかが最大の関心事だったはず。

ただ、もっと大変なのは、ここに残る40代~50代の世代。就職時も氷河期世代。ここにきてさらなる苦難が待ち受けています。これはこの会社だけではなく、この国の体たらくでもあります。

失われた30年の中、おっさんの様に、転職や他業種に行かれた方も大勢。その後を知っているのは一部の方しか存じません。

ただ振り返ると、その後の社会人生活での基礎はここで過ごして学んだことが大部分。青年期での最初の職場は大事。三つ子の魂百までってこと。

それゆえに、そごう西武売却先がどこになろうと、青年期を過ごした横浜と 80年代を席巻したセゾングループの旗艦店の池袋はそのまま継続してほしいもの。外資だけは勘弁ですが、ただ背に腹はかえられぬ現実もあります。

人は誰もが、人生の時々や節目での選択の際にその後はガラリと変わります。

地方の場合は、高校までは貧富に関係なく、同じ地域でほぼ一緒の道をたどります。その後は、才能と運と努力で結果は人それぞれ。その過程での人との出会いも、その後に大なり小なりの影響があるのが常。

その中でたった1つ平等なのは時間だけ。結果は人それぞれですが、平等に歳だけはとる。同級生は永遠に同じ歳、先輩後輩の間柄も永遠。

そして人生は万事塞翁が馬。どちらに転ぼうが結果成るようにしかなりません。直近のアンラッキーがずっと続くとも限らないし、またその逆もあり。

ただ、こうして今も暮らして生きていることを考えると、これから先もなんとかやっていけるはず。では またです。

 


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