四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

ネット普及前は社会へ発言できるのは有名人だけだった

 

震災関連で一部芸能人のSNSが炎上かぁ。

まあ 500万円の振り込み用紙の画像をアップしたら感じ悪いのは仕方ない。

昔から持っている、日本人の慎ましさや奥ゆかしさに反する行為なんだろう。

 

そう考えると、SNSに代表されるネット社会というのは、

誰もが自分の考えを率直に発信できるツールですから

自己アピール大好きで、評価される米国のものというのがよくわかります。

 

震災関連の情報も、多くのメディアの現地入り、さらにツイッターSNS

ネットの普及で多くの画像や動画が入ってきます。それに反応して

メッセージやリツイートが発信されるんだけど

被災地とは関係のない人の発信は、結局は魂がこもってないんだよ。

 

現地で向き合っている被災地の人や、友人知人や家族がいる方は、共に

闘っていると思うし、復旧のために現地入りしている方々も同様。被災地の外の

安全な場所から、関係のない我々が指先のワンクリックだけでの

頑張れメッセージは、結果自己満足だけで どうなのかな ?と思いました。

一部芸能人のSNSが炎上するのは、過度な自己アピールすることに対する

日本人の持っている嫌悪感がさせているような気がします。

 

支援は、無名な方の少額での募金の積み重ね、志ある方のボランティア

そういったもので支えられているもの。この災害が一部の著名人の自己アピール

の場ではないということ。さらには無名の我々にとっても。

 

事件があると、特に 災害時に大挙で押し寄せるマスコミ。

被災地の為に役立っているのかね ? これこそ入場規制したほうがいい。

現場は見世物じゃないんだよ。この件とは違うだけど

最近 ニュースの下にtweetが表記されるんですけど、邪魔です。

 

日本人が本来持っている特性、文化は下記のようなもんだろう。

悲しければ悲しい程 黙りこむもんだね  by 冬のリビエラより 作詞 松本隆

I love youの訳詩 →月が綺麗ですね

 

過度の自己アピールは嫌悪感でしかなく、謙虚さが美徳の日本人にとって

インターネットが持っている文化とは相反しております。

この社会でこのツールを、使いこなすのは難しいわけだ。

 

私も1月からTwitter始めました。そこそこ楽しかったのですが

あまりにくだらないつぶやきは、やめることにしました。

私の昼食などはどうでもよいし、それが特筆できるランチならまだしもですが。

Twitterは時間といっしょで流れては消えるものなので

一部の方であったとしても、誰かのために役立つ情報か実況のツールかと考えます。

 

インターネットの普及前は、世間に向かって自己の発言ができた人は

有名人だけに限られました。各種ネットのツールのおかけで気軽に、いつでも

誰でも発信できるという世の中。その分 昔は悪口、陰口で終わったことが

一気にネット上を駆け回るということになってしまいました。

 

私にとって、Twitterの140字の中でできることは情報か、実況のみか。

本来のつぶやきが興味深いのは、やはり有名人の方だけなんだろうな。

それ以外の発信はブログがいいよ。ネット上に残っていくしね。

 

ただどのツールでも、行き過ぎた自己表現は

無名な人には不自然でネット上でも迷惑でしかないし

有名人の場合は一瞬で炎上します。そう考えると

一般のユーザーにとって、SNSは情報の発信でしかないかね?

忘れてた!SNSで重要な交流の場もありましたね。 では またです。