尼崎と高松での死体遺棄は、実態がわかれば判るほど
ひどいものです。事件の主犯の当事者は、
裁判の結果 極刑になったとしても反省なんかは
するわけがない。
さぞかし、保険金やらで 快楽的な暮らしをしてきた
ことと思いますが、こういった犯罪を犯す人間というのは、
感覚が通常人とは、違うとしか思えません。
一般人の多くっていうのは、軽微な過ちや、何かで相手の心を
傷付けたりした場合は、大なり小なり みんな心が痛みます。
こういった残虐な犯行をする人は、先ずはこの感覚が欠如
してるんでしょうね。そうとでも考えない限り、このような
連続し複雑・多数の方が犠牲になる事件が、起こるはずありません。
どのような生い立ちや育ちからなるのかは、不明ですが、
生まれながらのアウトローっていうのも けっこうあります。
おそらく、情緒的な 何かが、すっぽり抜けているのでしょうか?
そうじゃなければ、一般の普通の方々が、こんなに死に追いやられる
ことってないでしよう。
通り魔的な事件とも違う、用意周到の上での計画的な犯行。
自己の快楽しか考えてはおりません。
自分の生命力だけは、異常に強い。植物や動物だったら国外の
外来種として、まわりを排除して 増殖するのでしよう。
なんともやり切れない事件と犯罪です。
なぜこんなになる前に、警察は動けなかったのか ?
ストーカー殺人などでも、対応が後手にまわり、結果として
最悪なものになってしまいます。
多くの警察官は、真面目に 真摯に業務をしている方が
ほとんどとは思います。それでも このような事件が多発する、
おそらく警察を取り巻く、制度や仕組みが悪いのでしよう。
犯罪は、時代と共にあります。
短絡的な事件、ネット上、パソコン上の事件、
そして今回のような同情の余地もない凶悪なもの。
犠牲になるのは、いつも真面目で慎ましい暮らしをしている
どこにでもいる 普通の、優しい人々です。
犠牲なった方々のご冥福をお祈りいたします。
早期の事件の全容の解明と、今後につながる 様々な制度の改革。
社会として 二度とこのような事件が発生しにくい
警察や法律の環境・制度・仕組みづくりができないものでしょうか?
社会としても、犠牲になった方々へ 報いなければなりません。