四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

犯罪史上に残る凶悪事件を憎む

尼崎と高松での死体遺棄は、実態がわかれば判るほど

ひどいものです。事件の主犯の当事者は、

裁判の結果 極刑になったとしても反省なんかは

するわけがない。

さぞかし、保険金やらで 快楽的な暮らしをしてきた

ことと思いますが、こういった犯罪を犯す人間というのは、

感覚が通常人とは、違うとしか思えません。

一般人の多くっていうのは、軽微な過ちや、何かで相手の心を

傷付けたりした場合は、大なり小なり みんな心が痛みます。

こういった残虐な犯行をする人は、先ずはこの感覚が欠如

してるんでしょうね。そうとでも考えない限り、このような

連続し複雑・多数の方が犠牲になる事件が、起こるはずありません。

どのような生い立ちや育ちからなるのかは、不明ですが、

生まれながらのアウトローっていうのも けっこうあります。

おそらく、情緒的な 何かが、すっぽり抜けているのでしょうか?

そうじゃなければ、一般の普通の方々が、こんなに死に追いやられる

ことってないでしよう。

通り魔的な事件とも違う、用意周到の上での計画的な犯行。

自己の快楽しか考えてはおりません。

自分の生命力だけは、異常に強い。植物や動物だったら国外の

外来種として、まわりを排除して 増殖するのでしよう。

なんともやり切れない事件と犯罪です。

なぜこんなになる前に、警察は動けなかったのか ?

ストーカー殺人などでも、対応が後手にまわり、結果として

最悪なものになってしまいます。

多くの警察官は、真面目に 真摯に業務をしている方が

ほとんどとは思います。それでも このような事件が多発する、

おそらく警察を取り巻く、制度や仕組みが悪いのでしよう。

犯罪は、時代と共にあります。

短絡的な事件、ネット上、パソコン上の事件、

そして今回のような同情の余地もない凶悪なもの。

犠牲になるのは、いつも真面目で慎ましい暮らしをしている

どこにでもいる 普通の、優しい人々です。

犠牲なった方々のご冥福をお祈りいたします。

早期の事件の全容の解明と、今後につながる 様々な制度の改革。

社会として 二度とこのような事件が発生しにくい

警察や法律の環境・制度・仕組みづくりができないものでしょうか?

社会としても、犠牲になった方々へ 報いなければなりません。