四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球と浜省とライブが好きなオッサン

1941年12月8日

本日は2011年12月7日 水曜日です。

明日は12月8日、70年前のあの日 日本がハワイの

真珠湾を奇襲攻撃した日。

その時から終戦の日の8月15日まで足掛け4年の歳月

絶望的な消耗戦を続けなければなりませんでした。

なぜ圧倒的な国力の差もある米国との戦争に踏み切ったのか

70年経た現在でも多くの書籍やテレビの特番でも論ぜられて

います。

ご承知のように、米国及び連合軍との戦いは、1937年の

盧溝橋事件に始まった日中戦争の始まりが全てになっています。

その後は、この戦いも泥沼化し、大東亜戦争へ続いていったのです。

先の大戦では、軍人と民間人で300万にもの犠牲者がでています。

では、当時の日本はこの戦争を回避することは、

可能だったのでしょうか ?

歴史で IF もしもは禁句ですが、それでも考えてしまいます。

70年経った今考えても、回避する時期など全くないように思えます。

まして、当時を必死に生きていた日本人も、米国との戦争回避には

全力を尽くしましたが、結局は開戦というカードしか選択肢はなかった

ように思えます。

もしあるとすれば、開国と富国強兵政策をとった 明治維新まで

さかのぼってしまいます。その当時の政策を否定することは

当時の列強のアジアへの進出を考えると植民地化されても

不思議ではなく、その結果 世界の歴史も状況も

全く違う現在が存在したことでしょう。

列強のアジア進出の帝国主義の時代。

日本が独立国として生き残っていくには

富国強兵は 自衛の為には 当然のことと思います。

隣国の中国や韓国・北朝鮮では今でもこの大戦の戦争責任が追及されます。

いつまでたっても変わらず 批判と反日ばかりです。

でも もし あの時代に 日本の存在がなかったとしたら、

おそらく、アジアは いまだに 列強の植民地のままでしょう。

今は独立国であふれる世界地図は、別の色に変わっているでしょう。

多くの人々の犠牲の上に成り立ち、確立した平和な現在の日本

わたしちは、祖先に感謝しなければなりません。

では 今日はこのへんで