四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

横浜駅西口家電量販店アリック日進で過ごした青春の日々

先日、スマホでネットを彷徨っていたらヒットしたブログ記事。1980年代の前半に、当時学生のアルバイトとして入店してました。おっさんとしては懐かしくなり、思わずコメントした次第です。

kaikoshumi.com

 

この時期は、おっさんも学生時代で貧しく、知り合いも少ない孤独だったあの頃。どちらかと言えば黒歴史になりますので、振り返りたくもなく戻りたくもない時代。ただブログ記事にあるこの店は、思い入れが沢山あります。

今は店舗も無くなってしまったことは残念ですが、これも時代の流れで致し方なし。横浜駅西口から店舗までの道すがらの商店街も、当時から続いているお店は少ないのでしょう。日進の5階にあった喫茶軽食のソレイユや、真向かいに当時あったJAZZを流している喫茶店ワーゲンなど覚えている方いらっしゃるのだろうか?

特にこの師走の時期は忙しかった。P社のバイト販売員として入店してた当時、オーディオの売上の繁忙期は12月のボーナスシーズンと3月の入進学シーズン。この頃ボーナス支給はまだ現金が主流、またミニコンポが興隆してた頃で入進学のお祝いを兼ねて購入したものでした。

アリック日進は80年代神奈川県下ではCMも流れていたし、横浜市内の朝刊には折込チラシも定期的に入ってました。現在のヤマダやケーズやヨドバシ、西日本ならデオデオが興隆する前の時代、集客力は地域トップクラスの家電量販店の1つ。

当時の日進の幹部の方が仰ってた、忘れられない一言。「おしん・日進・隆の里」。耐えて勝つこと❗️ 1983年の時代だなぁ。クリスマスか何かの時期か忘れましたが、社員さん・パートさん・メーカー派遣さん含む全員にショートケーキが配られるなんてことも記憶しています。

アルバイトのメーカー派遣販売員の立場でありながら、3年くらいの期間なのに卒業を機に辞める時には送別会もしていただいた。当時の人たちは優しかったなぁ。

ちょうどブログのコメント欄にある神大OBさんと同じように、1982年から1985年までこの店にアルバイトで入店してました。この神大OBさんはおそらく存じ上げている方でしょうから、この記事が検索サイトでヒットすれば、何かの折に見つけてもらえるかと思いアップ。

Googleストリートビューより

 

本来はFacebookなど実名投稿可能なプラットホームに参加していれば、いとも簡単にたどり着くのでしょうが…。輝かしいキャリアなど無い無名のおっさんには、Facebookはハードルが高いです。ネット上の発信は匿名ブログやTwitterが精一杯。

インターネットの世界は不思議なのもので、大昔の時代にも一瞬タイムスリップできます。ネット上の記事だけではなく、YouTubeの動画サイトも同じ。何時でも何処でもスマホ1つで当時の音楽シーンが閲覧できるツール。

ただテクノロジーは80年代でおっさんには十分。過去の技術は万人の方が享受できたものが、現在のデジタル化は一部の長けた方のみその恩恵を授かることができるもの。PCやスマホやインターネットなんか無くとも、フツーに経済や暮らしは回ってました。

カセットテープが音楽の主役で無くなってからうん十年。今じゃオーディオなんてものは無く スマホでYouTube。これさえあれば辞書も新聞も図書館もいらないし、ロードマップも不要。ケースによってはFAXも電話もいらない。産業革命に匹敵するツール。このスマホ1つの出現で、情報や暮らしも産業構造も激変。ただ一方で、おっさん含む無名の市民もネットに発信できるようになったのも事実。

昭和から平成さらに令和になり、分厚い中流層はいつの間にやら消滅し、数少ない上流層と圧倒的多数の下流層に分断。プロスポーツでは80年代では考えられない傑出した若き才能が世界を席巻するのは、幼少期からの育成と本人の努力があったこそ。これ資本主義の企業社会も大手に入るにはそれなりの資質が必要だし、音楽や芸能でもそうでしょ?環境やバックボーンが必要不可欠。

この国が繁栄していた1980年代から1990年。貧乏な20代を過ごしていたあの頃。根拠もありませんが未来は明るいと思ってました。あれから40年の歳月が流れ、来年は2023年。没落しかけている日本で、60代からこの先を生きるのかぁ。

今20歳代の若手は、生まれてからずっとこの閉塞感が当たり前の日常。若手もこの先、楽じゃない。では またです。