四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

全てがハイスペックな東京五輪日本代表から何を思う

 

ハイレベルでイケメンの日本選手団

連日の東京五輪の中継さらに日本選手の活躍とメダルラッシュ。一般の方は、オリンピックの活躍で競技・選手を認識する方も多いはず。おっさんもそんな一人です。このステージまでくるのに、想像を絶する毎日があったのかと存じます。先ずは関係者のご尽力により開催できたことが何より。

競技の内容も一昔前の五輪では、せいぜい日本記録止まりが、現在は高レベルの中でさえ、日本人が金メダルやメダル獲得。

さらに気付かされるのは、総じて男女共に選手のルックスの良さ。これいつ頃からだろうか?気づいたらこうなっていました。

先日までの高校野球地方大会も同様で、みんなイケメンで、ひと昔前のチームに何人かいたオッサン顔の選手など、皆無。それでいて技術は当時よりもハイレベル。

投手であれば、地方大会でさえ140キロを超える球速のピッチャーも数多く存在します。1970年代後半までは、140キロの球速は既に地域の話題で、全国大会でも数人ってところでした。

この結果の背景には、指導者の方のご努力や クラブチームの存在や家族の方の理解とバックアップなしではあり得ない環境の変化があります。

一時期、五輪や世界選手権で低迷したかつてのお家芸種目の体操や水泳が、再び世界の頂点へ、さらにフィギュアスケートやゴルフも世界トップレベルである2021年。学校の、特に公立の部活だけではここまでこれなかったことは周知のこと。

成功に必要となる太いバックボーン

これを選手個人が極めることができたのは、指導者の熱意、本人の才能や努力もあるものの、バックボーンはやはり環境。

環境とは家族のバックアップ わかりやすくはお金・経済力に行き着きます。

スポーツ・音楽・芸術・進学と本人の才能や努力もあるものの、それを支えるバックボーンとしての実家の太さは、あらゆる分野で現在最も必要としていることの1つです。

この度の東京五輪のアスリートで、実家が豊かじゃない選手っていますか?しいてあげれば自衛隊出身選手の一部に可能性ありか?

この件は、80年代くらいから皆が薄々気がつき始めていたものが、ここ最近はネットで情報が行き渡るようになってから、さらに顕著となりました。少子化で人口減少は、情報が高度化し地域も個々も階層も分断された社会の必然的なルートかと感じます。

それは無意識のうちに、時代は少しづつ優れた遺伝子を選別しているようにも思えてしまいます。

それが美しくも強く、しなやかなアスリートの姿と重なりあいます。一般社会での少子化の現実は、その数的表れなのでしょう。世の中いや自然界は、弱者にとっては残酷なものです。人間だからこその救いは、社会には必要なはずなのですが…。

今一歩熱く五輪を観戦できない理由

現在開催中の東京五輪、ネットやTwitterでは称賛の嵐。でも インターネットが行き渡る前の時代は、メディアに後押しされなくとも、もっと国全体が熱かったと感じています。

さすがに1964東京五輪は記憶に無いものの、メキシコでのマラソン君原の激走、ミュンヘンでの男子バレー対ブルガリア戦の奇跡の大逆転、モントリオールの体操団体でのソ連との大逆転金メダルと、いくつか直ぐに出てきます。こんな思いで見たのは、ここ最近 とは言っても随分前ですが、高橋尚子選手のシドニー金メダルが最後の記憶。

現在の今一歩熱く五輪を観戦できない理由は何か? おそらくは以前の五輪の代表は、我々と時を同じく過ごし、同じ生活者の代表として感じていたのではないでしょうか?

近代五輪から既に代表選手は別格で、一般国民とは一線を画す存在には違いありません。ただどこからかが分岐となって、結果そうなった選手が殆んどで、ある時期までは同じ生活者だったのであろう選手に、どこかで親近感もありました。

一方で現在の世界レベルの選手は、幼少の頃からの英才教育の物語。今の各競技でのハイレベルを考慮すると、幼い頃から全てを競技に向けなければ、勝負できないし烈さ。

一般の国民が歩むルートとは全く違う進路を選択せざるを得ません。いわば同じ生活者としては、全く接点のカケラもない、別世界でのエリート。そこなんだろうな 大昔との違いは。

これは五輪だけではなく、おっさんが観戦趣味としている高校野球の世界でも同じです。かつては一緒に放課後に三角ベースや空き地での草野球で遊んでた同級生が、その後時を経て甲子園出場したりしたことはむしろ日時的、全国いたるところにありました。

今では空き地や公園での草野球も存在せず、幼少からクラブチームでキチンとした指導者のもと、競技レベルを高めていきます。その結果、高校野球、甲子園でのハイレベルなプレーに繋がっていきます。

ただ、そんな背景であったとしても、高校野球の場合は同じ地元だったり同じ出身校であったりと、個人的な想いや狭いコミュニティでのいくつかの接点が存在しているもの。

ここが世界を舞台とした、五輪との相違点。勿論 競技の目的としては、五輪も甲子園もそれでいいわけでして、おっさんのノスタルジーは、競技的にはどうでもいい話となります。

こんな妙なことを考えているのは、おっさんのなど少数派と思いきや、ネットの世界は広いもので様々な見方があるのは救われます。

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才能なき不細工も世を生きる

ところで、こうしてトップアスリートの五輪~身近な職場や会社まで、才能もなく不細工で要領もわるく、なおかつ貧乏でアホな奴らは、いったいどこに行ったんだ?

若手は皆が小綺麗で礼儀正しく、貧相にも見えない。身近で一番前者に該当するのは、オッサン自身だろうね。それでも、皆社会のどこかで、拗ねてでも生きてるのだろう。

おそらくは、美しくもないものはメディアのカメラワークがとらえていない、または世間が可視化することを避けている現実。一部の人にとっては、ホント生きづらい世の中になりました。

そのあたりは、まだ昔の方が世間も人々の心も寛容だったし、会社も余力もあったのかと、それに随分と助けられた感もあります。これは個々の責任だけでは片付けられず、むしろここから先は政治の責任かと思います。

オリンピックも高校野球の甲子園も、年々ハイレベルとなる競技大会。さらに社会もコンプライアンス・ハラスメントNGと業務は顧客の要求もありハイスペック。礼儀・ビジネスマナーにも小うるさい。さらに清潔感に代表されるような見た目・ルックスにも周囲は厳しい。

こんなんで、特に若手はよくみんなやってますよ。オッサン今が20代じゃなくて、ホントよかった❗

さて、こんなハイスペックの世の中で、何もない奴はどうするか? バカとブスほど東大目指ざせってのはホントだね。そうじゃなければ、何か1つの分野で、地味でもキャリアを積み重ねるだけしかない。

おっさんの場合は、既にそれほど長い未来は存在しないだけに、健康が維持できて、たまに好きなことに出掛けられて、慎ましい暮らしができる程度のお金があれば、それでよし。そして、時々こうして不定期にブログを発信しています。先ずは日々楽しくやりましょう。ではまたです。


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