今回は、前回に続いて「野球留学」についての考察です。
能代工業と光星学院という2つの学校を比較しながら、現在の高校野球を取り巻く背景や事情について、改めて考えてみたいと思います。
前回は遠慮して書きましたが、私の本音を言えば、光星学院のようなチームには少し抵抗があります。
これは感情論に過ぎないかもしれませんが、私が東北出身者であることが大きな理由だと思います。
現在暮らしている四国でも、地元の方々はやはり地元選手が多数在籍する学校を応援する傾向があります。これは自然な感覚だと思います。
たとえば、明徳義塾や尽誠学園が甲子園に出場しても、地元がそれほど盛り上がらないのは、地域の存在がないがしろにされていると感じるからです。
多くの選手にとって、甲子園に出場できれば、学校や地域はどこでも構わないという考えが根底にあるように思えます。
一方、能代工業のバスケットボール部は「能代工業でなければ意味がない」と言えるほどのこだわりを持って、遠方から入学する選手が多くいます。
卒業後もOBが能代を訪れ、後輩たちを鍛えるという文化が根付いています。
光星学院をはじめとする野球留学の選手たちは、卒業後にその町を再訪することがあるのでしょうか。
甲子園出場のための通過点として、その町に思い出を残してくれるのでしょうか。
もちろん、甲子園を目指すことは夢であり、プロ野球や進学を視野に入れた選択であることは理解しています。
15歳で実家を離れる決断と覚悟は、立派なものです。彼らは野球で人生を切り拓こうとしているのです。
しかし、その陰で、地元の野球少年たちの夢が断たれてしまう現実もあります。
「実力で奪えばいい」という声もありますが、野球留学生の多くは中学硬式のエリートたち。
東北の片田舎には、そうしたクラブチームは少なく、指導者も限られています。
地元の選手は軟式の中学部活動出身がほとんどで、環境の差は歴然です。
さらに、留学に至るまでの背景には、クラブチーム関係者と学校側の利害の一致があります。
甲子園出場者を輩出したいクラブ側と、生徒数減少に悩む学校側。
仲介者が介在するケースもあり、事情は複雑です。
こうした「大人の事情」が絡む野球留学には、制度的な問題はないものの、地域の感情面では受け入れがたい部分もあります。
甲子園は、地元の若者が全国の檜舞台でプレーする姿を応援する場であるべきです。
祭りの神輿の担ぎ手は、地元の若い衆であってほしい。
もちろん加勢は歓迎しますが、全員が外部の担ぎ手では、もはやその村の祭りとは言えません。
こうした感情論だけでは、問題の本質には迫れません。
学校ごとの留学生や特待生制度については、現時点では学校と生徒が合意して成立している以上、制度的には問題はないと思います。
野球留学の是非を問うた場合、都市圏と地方圏では意見が大きく分かれるでしょう。
送り出す側の都市圏では肯定的な意見が多く、受け入れる側の地方圏では否定的な意見が多数を占めると思います。
背景には、都市圏の豊富な選手層と限られた出場枠、地方圏の逆の状況があります。
この実力と枠数の不均衡が、選手の流出を助長しているのです。
この相反する両者の落としどころを考えると、まずは出場校数と競技レベル、枠数の不均衡を是正する必要があります。
全国大会は地域対抗ではなく学校対抗であることを踏まえ、現在の枠組みを見直すべき時期に来ているのかもしれません。
春の選抜大会については、地域枠にとらわれず、実力重視の選考で良いのではないでしょうか。
秋の地区大会や明治神宮大会の成績をもとに、地域の学校数と競技レベルに応じた32校を選出する。
近畿や関東・東京は10校、北海道・東北・四国は1校など、毎年見直しを前提とした柔軟な枠組みが必要です。
サッカーのワールドカップでも、地域枠の差はありますが、ナショナリズムが発揚する大会であっても、地域割は大きな問題にはなりません。
自国と地域のレベルを認識しているからです。
夏の大会については、個人的には1県1代表制が望ましいと思いますが、今後の少子化や出場校数の減少により、2県1代表や3県1代表になることも自然な流れだと思います。
こうした背景の中で、遠方の東北に留学する選手が今後も現れるかどうか。
留学生なしの東北代表は、全国大会で苦戦を強いられるかもしれません。
実際、秋田県代表は13年連続で夏の初戦敗退を続けていましたが、昨年ようやく2勝を挙げ、地元は大いに喜びました。
仮に、出身県の代表が数年に1度しか出場できなくなったとしても、その時は大声援を送りたいと思います。
そして、いつの日か──何十年かかるか、あるいは永遠に叶わないかもしれませんが──
優勝旗を、地元出身の東北の選手の力で持ち帰ってほしいと願っています。