四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球と浜省とライブが好きなオッサン

昭和20年3月10日未明

表題の日 67年前の今日の未明 米軍による

無差別攻撃・東京大空襲の日である。一夜にして東京の下町が

廃墟になり、推定10万人もの尊い民間人の命が失われた。

新聞・メデイアは明日の大震災のことがほとんどであるが、

このことも、日本人として忘れてはならないことと思う。

この 爆撃の米国側の狙いは、戦争の早期終結にあったと

言われている。戦闘での消耗戦は、早期終戦に至らず、結果として

民間への攻撃と打撃で、日本を降伏させる戦略なのである。

しかしその後も全国主要都市への爆撃が続き、最後は広島・長崎

への原子爆弾の投下で、ようやく終結する。

歴史は勝者のものであるが、

アメリカは決して正義の国などではないことが

東京大空襲の戦略でも よくわかる。

作戦を立案した米軍 ル・メイは 戦術として

隅田川・荒川沿いを爆撃し炎上させ、人々の逃げ道を遮断

そして焼夷弾の雨を降らせた。

もはや大量殺りくでしかない。

この男には武人としての精神はまるでないのである。

当時の欧米人にとっては、日本人を含めた黄色人種

猿としか思ってないのであろう。おそらくそうした

精神の構造がなければ、こうした作戦の立案はできない。

また歴史上アメリカは、このような大規模な攻撃を

本国で受けたことがない。地政学上優位な場所に立地するゆえ

戦争の悲惨さを国家自体が全く認識していない。

火の粉は自分の身に降りかかってきて、初めて悲惨さを知る。

このことを知らないアメリカは、誰も頼んでないのに

勝手に世界の警察官として君臨し続けるであろう。

戦争については、正義も悪もない。どちらも聖戦となる。

東京裁判で多くの日本の指導者が裁かれてはいるが、これは

勝者の敗者への裁判。戦争責任は開戦時の責任ではなく、

むしろ こうした悲惨な戦いになってしまったことへの

政府及び軍部の当時の政策及び戦略の責任であるならば

納得もする。

戦争はないことが、もちろん一番。それでもいまだに

戦争が、外交決着の手段でもある。

ならば、負ける戦いをしてはいけない。

いつかのNHKスペシャルで 元海軍の参謀の先の大戦

反省会なる記録の放送があった。一貫しているのは、

国民や国家がありきではなく、組織・海軍がまずありき。

戦略・戦術での敗戦から、国民に甚大な被害があった

ことへの反省の念は ほとんどなし。

現在の日本の指導者・エリートたちの考え方は、67年たった今

どう変化したであろうか ?

では 今回はこのへんで。