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新潟県高野連が球数制限導入を撤回 もし球数制限が導入されたら・・・

 

新潟県高野連、球数制限の導入撤回へ

 

新潟の高野連が問題提起したことでクローズアップ。絶対権威の高野連に対して、勇気ある一石かと思いました。球数制限は時代の流れだ感じています。肝心の選手はどっちを希望しているのでしょうか。

大部分のスポーツ選手なら、多少の痛みがあったとしてもベンチや仲間の期待に応えたいのが本音。それが原因で将来に影を落としたとしても、無理してでも登板するでしょうけど。

ただ若い選手に対して歯止めをかけるのは、周囲の大人としては自然なこと。

昭和の高度成長期ならともかく、昨今は一般企業でも時短が促進されパワハラも禁止。当然学生スポーツにも、指導者や先輩からの体罰やパワハラを禁止する、その流れは求められるでしょう。

仮に球数制限が導入されたら、私学の強豪校の独壇場となるか?広域から沢山の投手を勧誘できる私学は、確かに投手獲得では公立より優位。ただ、そのような環境下でも高レベルの投手を3人以上揃えるのは、私学といえどもなかなか難しい。

また投手交代の際のリスクがあるのは、プロ野球から学生スポーツも一緒。強豪私学は優位ではあるけれど、けして絶対ではないはず。投手交代の際での攻防も興味深いです

一方の公立校のチームは限られた選手の中から、投手の育成が必要となります。野手で入部した選手も、投手へのチャレンジが必要。

子どもころの草野球はみんなピッチャーをやりますが、部活では制限されたポジションで断念。新たな才能が見出されるかもしれません。こうした期待や楽しさも生まれます。

100回大会の夏の甲子園。金足農業の快進撃、準優勝は見事でした。もし昨年の夏の大会で球数制限が導入されてたら・・・。もしかしたら甲子園出場ができなかったリスクもありますが、一方で継投で勝ち進み、決勝も体調十分初優勝していた可能性もあります。ルールが変わると様々な新たなドラマ性も生まれます。

高野連が心配しているのは、一人の投手で最後まで投げ切るドラマ性が損なわれ、興業的に凋落すること。そんな心配としなくとも、新ルールのもとでも感動的な試合や名場面は生まれると思います。甲子園は、それだけ人を引きつけるものがあります。

球数制限の導入、過密な大会日程の解消、低反発の金属バットの導入、現在の金属バットからの打球はあまりに速すぎで危険すぎます。さらにベンチ入り選手の拡大。投手が必要な分、交代枠も必要なはず。

こうして考えると改革の余地は沢山。先ずは選手の安全保護は大人の役割。

今後に期待しています。では またです。