四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

記録と記憶の交差点 ― 2025年、秋田の高校野球とLIVE体験を振り返って 

記録と記憶の交差点 ― 2025年、秋田の高校野球とLIVE体験を振り返って

 


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はじめに:2025年という節目に、秋田を想う

私にとって「秋田」は、出身地であると同時に、もっとも好きで、もっとも嫌いな場所でもあります。愛着と苛立ち、誇りと諦め、懐かしさと距離感――そんな相反する感情が、いつも心の中でせめぎ合っています。

長年、県外で暮らしてきたからこそ、地元の風景や空気、人々の言葉や振る舞いが、より鮮やかに、そして時に鋭く心に映ります。外から見つめることで、地元の良さも課題も、地元にいるとき以上に見えてくる。そんな感覚を、年を重ねるごとに強くしています。

なかでも、夏の高校野球は、秋田という土地の「地域性」が最も色濃く表れる季節行事のひとつです。県大会から東北大会、そして時に甲子園まで――球場へ足を運び、スタンドから声援を送り続けてきました。そこには、ただのスポーツ観戦を超えた、土地への思いや、若者たちの姿に託す希望、そして自分自身の記憶と向き合う時間がありました。

2025年という節目の年に、あらためてこの「記録」と「記憶」を綴っておきたいと思います。高校野球の夏、そして音楽のLIVE遠征で出会った“静かな奇跡”の数々――それらは、私の中で確かに交差し、今もなお心を揺らし続けています。

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秋田の高校野球 ― 声援に込めた願いと、心を揺さぶった一戦

私の高校野球観戦は、どうしても能代地区のチームに肩入れしがちです。生まれ育った土地への思いが、自然と応援の熱を高めてしまいます。地元を離れて久しい今も、その感情は変わりません。むしろ距離を置いたからこそ、より強く、より鮮明に、能代の風や空気を感じるのかもしれません。

2025年の夏、春の県大会を制し第一シードとして挑んだ能代松陽に、私は大きな期待を寄せていました。しかし、準々決勝で新鋭の鹿角高校に敗れるという、まさかの展開に胸が詰まりました。

その鹿角高校が見せた快進撃は、まさに“旋風”でした。準決勝では伝統校秋田商業を撃破。そして決勝戦、相手は夏の甲子園代表となる金足農業。この試合が、私にとっての「今夏最高の一戦」となりました。

特に忘れられないのは、9回ツーアウトからの振り逃げ出塁です。そこからの同点劇は、まさに“奇跡”と呼ぶにふさわしいものでした。球場全体が息を呑み、そして歓声が爆発したあの瞬間。勝敗を超えて、野球というスポーツが持つドラマ性と、若者たちのひたむきさが胸を打ちました。

延長タイブレークの末、鹿角は惜しくも敗れましたが、その戦いぶりは間違いなく観る者の心に刻まれました。能代松陽を破ったチームが、ここまでの物語を紡いでくれたことに、私はどこかで救われたような気がしています。

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LIVE遠征の記憶 ― 音楽と出会いの旅、そして“あきた”で震えた夜

私にとってLIVEは、単なる音楽鑑賞ではありません。日常から少し離れ、心の深いところに触れる時間であり、時に自分を再起動させる“旅”でもあります。だからこそ、これまで何度も遠征を重ねてきました。

ただ、年々、参加の頻度は減ってきました。体力的なこともありますし、気持ちの波もあります。けれど、そんな中で今年、特筆すべき出来事がありました。

浜田省吾、秋田公演。

長年、遠征して追いかけてきた浜省のLIVEに、秋田市の自宅から徒歩圏内で参加できたのです。これは、私にとって最高の贅沢でした。あの夜、会場に向かう道すがら、胸の奥がじんわりと熱くなったのを覚えています。

そして、LIVE前半。あの曲が始まりました。

「Hello Rock & Roll City あきた」――。

イントロが流れた瞬間、鳥肌が立ちました。秋田の地名が、あの歌詞の中に溶け込んで響いたとき、私は思わず目を閉じました。遠征先で何度も聴いてきたあの曲が、今、自分の“地元”の名を呼んでいる。その事実に、心が震えました。

このLIVEは、私にとって「記録」以上の意味を持ちます。長年の遠征の終着点のようでもあり、また新たな始まりのようでもあります。音楽が、場所と記憶と人生をつなぐ――そんな感覚を、あの夜、確かに味わいました。

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交差する風景 ― 声と記憶が響き合う場所で

日々の暮らしは、見た目にはルーティンの繰り返しのようでいて、実は一日たりとも同じ日はありません。天気も、気分も、出会う人も、ほんの少しずつ違っていて、それが積み重なって「私の日々」になっていきます。

LIVEも、スポーツの試合も、まさにそうです。演者も観客も、選手も応援する人も、同じ顔ぶれであっても、同じ空気は二度と訪れません。会場の温度、空の色、響き方、心の状態――すべてがその日限りの“いきもの”のように変わっていきます。

私にとって、それらは非日常の出来事でありながら、確かに日常の延長線上にあるものでもあります。だからこそ、そこでの記憶は、時に日常の中でふと蘇り、思いがけず心を揺らすのです。

このブログは、そんな記憶を忘れないための備忘録であり、同じ空間でたまたま出会った人たちと、あの瞬間を共有するための記録でもあります。たくさんの“一人一人”が、それぞれの思いを抱えて過ごす日々。その中で交錯する一瞬の出来事――それは、時間を越えて思い出されることもある、まさに一期一会の風景です。

球場で、会場で、あるいは道すがらの何気ないやりとりの中で、私はいくつもの“静かな奇跡”に出会ってきました。それらは、声にならない声を聴き、記録し、心に刻むことで、ようやく形を持つのかもしれません。

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おわりに ― 記録と記憶の、その先へ

2025年という節目の年に、こうして「記録」と「記憶」を重ねるように綴ってきました。高校野球とLIVE――まったく異なるようでいて、どちらも私にとっては日常を照らす“非日常”であり、心の奥に静かに火を灯す存在です。

来年もまた、健康で、球場に足を運び、LIVEの会場で音に包まれる日々が続くことを願ってます。