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柳ジョージさんの訃報に寄せて:YOKOHAMAの風景とあの声を想う

柳ジョージさんの訃報に寄せて:YOKOHAMAの風景とあの声を想う

 

2011年10月14日、金曜日です。

今日の昼休みに携帯サイトを見ていたら、柳ジョージさんがお亡くなりになったことを知りました。まだ63歳ということで、本当に残念です。心からご冥福をお祈りいたします。

私が柳ジョージさんの音楽を初めて聴いたのは、高校三年生の春。LP『YOKOHAMA』を購入して、よく聴いていました。今聴いても、いい曲ばかりです。

1. プリズナー  
2. ホワット・ドゥ・ユー・ウォント  
3. コペンハーゲン・パーク  
4. 嘆きのピエロ  
5. パブ  
6. 雨に泣いてる  
7. 港亭  
8. グルービー・ガール  
9. ヘイ・ダーリン  
10. チャイニーズ・クィーン  
11. 本牧綺談  
12. FENCEの向こうのアメリカ  

北日本の片田舎に住んでいた私には想像もできないような、横浜の風景がそこにはあり、ひそかに憧れていました。その2年後、私は横浜市に住むことになりますが、柳さんが描く“ヨコハマ”とは程遠い環境での生活に、少しがっかりしたのを覚えています。

それでも数年後、根岸の米軍居留地を見る機会があり、「これが歌っていた“FENCEの向こうのアメリカ”なのか」と思いました。狭い土地の中に、その一角だけが広い庭と芝生、洒落た住宅が並ぶアメリカの町が形成されていました。横浜市は住宅事情が厳しいのに、周囲とはまったく異なる空間。そこを垣間見たとき、第二次大戦の戦勝国と敗戦国の差が、くっきりと浮かび上がって見えました。

もちろん、柳さんの歌にはそうした影の部分は描かれていませんが、身近にそんな環境があったからこそ生まれた曲なのだと、あらためて思いました。

柳ジョージさんが歌う横浜は、現在のランドマークタワーが象徴するような世界とは異なる、もっと古き良き時代の“ヨコハマ”がちりばめられたものでした。私が住んでいた頃は、今の「みなとみらい」の都市計画がちょうど開発中で、1980年代〜90年代中頃までは「MM21計画」と呼ばれていました。都会の街は、気がつくとどんどん変貌していくものですね。

柳ジョージさんの、あの独特な声が——

もう、聴けないのかと思うと……

久しぶりに、あの歌が聴きたくなりました。