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【昇降機メーカー編 ㉓】東北から関西へ——言葉と文化の距離感

東北から関西へ——言葉と文化の距離感

〜暮らしとしての関西との接点〜

 


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 百貨店時代にあった“文化の接点”

私が東北・山形から神戸へ異動したとき、関西という土地はまったく未知の世界というわけではありませんでした。前職の百貨店勤務時代に大阪本社の文化に触れていたこともあり、関西の言葉や空気にはある程度の馴染みがありました。
ただ、それが「仕事上の接点」と「暮らしとしての接点」とではまったく違うものでした。文化を知っていることと、その土地で生活することは別問題です。実際に暮らしてみると、最初に感じたのは“言葉の壁”でした。

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 関西弁という文化の衝撃

引っ越し当日のことです。ガス会社の担当者が訪ねてきて、開口一番からコテコテの大阪弁でした。
「皆さんこんな方ばかりなのかな」と一瞬不安になりましたが、あとにも先にもこの担当者さんが最高峰でした。以後、仕事でも生活でも、そこまで強い関西弁に出会うことはありませんでした。

それでも、言葉の違いが文化の違いを象徴していることは確かです。1980年代以前なら、関西圏への異動はもっとハードルが高かったでしょう。しかし、テレビでは大阪の芸人が全国区で活躍し、関西弁が日常的に耳に入る時代になっていました。その意味では、私が異動した2006年頃は、関西への転勤が少しだけ身近になっていた時代だったと思います。

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 標準語で通した理由

関西での生活が始まってから、私が意識していたことがあります。それは「東北出身の自分は標準語で通す」ということでした。
外から来た人間が安易に地元の言葉を使うのは、リスペクトに欠ける行為だと感じていたからです。言葉というのは、その土地の空気や人の距離感を含めて育まれるもの。自然に出るようになるには時間がかかりますし、それは逆の立場から見ても理解できることです。

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 現場での受け入れと“おもろいおっちゃん”

ある現場監督が私を紹介してくれたときのことです。
「にんたまんさんやで。おもろいおっちゃんやで。」
そう言われた瞬間、心の中で少し嬉しくなりました。現場に受け入れられた感覚がありました。言葉の壁を越えて、関西の人たちと自然に笑い合えるようになったことが、何よりの安心材料でした。

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 言葉の“聖域”は地元にしかわからない

ただし、私が理解できるのは表面的な部分までです。深いところにある言葉の意味や、阿吽の呼吸のようなやり取りは、長年その土地で暮らしている人にしかわからない“聖域”です。
秋田弁でも同じような例がたくさんあります。イントネーションや間の取り方、言葉に込められた感情の機微——それは外から来た人間には簡単に踏み込めない領域です。

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異文化の中で見えた“距離の取り方”

東北から関西へ移るというのは、距離だけでなく文化の移動でもありました。けれども、相手の文化を尊重し、自分の言葉を大切にすることで、自然と距離が縮まっていく。
そのことを、神戸での暮らしの中で実感しました。
異動とは、単なる勤務地の変更ではなく、人と文化の交わりを体験することでもあるのです。

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