23年前の『踊る大捜査線』を見て、41歳だった自分を思い出しました

- 2003年の映画を2026年に見る
- 「負け組」という言葉があった時代
- 「正しさを貫きたければ偉くなれ」
- 2003年にはなかったSNS
- フジテレビも23年で変わりました
- 子役だった神木隆之介
- 23年前の自分と、2026年の自分
- これからの『踊る大捜査線』とAI
- 23年後の未来を考える
- 映画を見ていたはずなのに
2003年の映画を2026年に見る
最近、テレビで『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』を見ました。
公開されたのは2003年ですから、2026年の現在から見ると23年前の作品です。
ところが、何度も再放送されていることもあってか、私にとっては「ついこの間の映画」という感覚があります。
しかし、細かく見ていくと、やはり隔世の感があります。
携帯電話、パソコン、情報伝達の方法、街の風景。そして何より、今では当たり前になったSNSが存在していません。
映画の中で描かれる警察組織も、情報は基本的に組織の中を流れていきます。
2026年から見ると、そこに23年間という時間の長さを感じます。
「負け組」という言葉があった時代
この映画を見ていて、真矢みきさんが口にする「負け組」という言葉が耳に残りました。
2003年前後は、企業のリストラが相次いでいた時代です。
私自身も当時41歳でした。
1961年10月生まれなので、2003年の前半は41歳、10月の誕生日を迎えて42歳です。
この頃の私は、会社で仕事を頑張って出世することよりも、もっと切実なことを考えていました。
「会社から退職に追い込まれないこと」です。
今振り返ると、それが当時の自分にとっての最優先事項だったのだと思います。
今とは、ずいぶん違う感覚です。
「正しさを貫きたければ偉くなれ」
『踊る大捜査線』には、現場と上層部、キャリアと現場、そして権限を持つ者と持たない者の対立が描かれています。
和久さんの「正しいことをしたければ、偉くなれ」という趣旨の言葉も印象的です。
23年経った今でも、この言葉はそれほど古くなっていないと思います。
組織の中で正しいと思うことを実現しようとすれば、やはり権限が必要です。
これは警察組織に限った話ではありません。
会社でも同じです。
現場がいくら「こうしたほうがいい」と思っていても、決定権がなければ実行できないことがあります。
2003年から2026年になっても、組織と権限の関係そのものは、それほど変わっていないのかもしれません。
2003年にはなかったSNS
一方で、23年間で大きく変わったものがあります。
それがSNSです。
2003年には、組織の中で権限を持たない一人の人間が、自分の意見を社会に向けて発信する手段はほとんどありませんでした。
基本的には、
「現場 → 上司 → 組織 → マスコミ」
という流れでした。
ところが現在は違います。
「現場 → SNS → 世間」
というルートがあります。
もちろん、SNSで発信したからといって組織の意思決定を直接変えられるわけではありません。
それでも、組織の中では何の権限も持たない一人の人間の声が、世の中に届く可能性があります。
これは2003年の『踊る大捜査線』には存在しなかった「未来」だったのだと思います。
「正しさを貫きたければ偉くなれ」という組織の原則は今も残っています。
しかし今は、「偉くならなくても世間に声を届けることができる」という別の道も生まれました。
フジテレビも23年で変わりました
そして、この映画を製作したフジテレビそのものを考えてみても、23年という時間の大きさを感じます。
2003年当時のフジテレビは、まさに「我が世の春」といっていい時代でした。
『踊る大捜査線』だけではありません。
テレビそのものが社会の中心にあり、その中でもフジテレビは圧倒的な存在感を持っていました。
当時の私たちが、20年後、30年後のフジテレビを想像することは難しかったでしょう。
しかし、企業もメディアも永遠に同じ場所にいるわけではありません。
2003年に「勝ち組」と思われていたものが、2026年には歴史の一場面として見えてきます。
だから「勝ち組」「負け組」という言葉そのものも、今見ると少し古く感じます。
子役だった神木隆之介
さらに昨日、家族が映画を見ながら発見したことがありました。
「この子、神木隆之介じゃない?」
2003年の作品ですから、神木隆之介さんはまだ子役です。
私が神木隆之介さんを俳優として認識したのは、もっと後のことでした。
そして2023年には『ゴジラ-1.0』で主人公を演じています。
2003年の子どもが、20年後にはゴジラと真正面から向き合う主人公になっている。
そう考えると、23年という時間が急に具体的に感じられます。
映画の中にいる子どもは、当時の私たちから見れば「子役」です。
しかし、その子にも当然、その後の20年がありました。
映画を見ている私たち自身にも同じように20年、23年の時間が流れています。
23年前の自分と、2026年の自分
2003年、41歳だった私は、会社から退職に追い込まれないことを最優先にしていました。
2026年、64歳になった私は、65歳以降をどう働くかを考えています。
同じ会社員でも、考えていることはまったく違います。
2003年には、会社という組織の中で生き残ることを考えていました。
今は、会社に残ることだけを唯一の選択肢にはしていません。
自分の経験をどう生かすか。
どこで、どのように働くか。
そして、これからの社会の変化にどう対応していくか。
23年という時間は、人も会社も社会も変えてしまいます。
これからの『踊る大捜査線』とAI
そして、もし『踊る大捜査線』の世界が2026年以降も続いていたとしたら、事件解決の場面には、おそらくAIが登場するのではないでしょうか。
2003年の作品では、事件解決のために現場の刑事が走り、電話をかけ、資料を読み、人に聞き込みをし、組織の中で情報をつないでいきます。
それが今なら、そこにAIという新しい捜査ツールが加わります。
過去の事件記録を瞬時に検索する。
防犯カメラの映像を解析する。
大量の資料や情報から関連性を探す。
事件に関する仮説を提示する。
現場の刑事が集めた情報を整理する。
そんな使われ方が考えられます。
しかし、AIが「犯人はこの人物です」と決めるわけではありません。
AIが仮説を提示し、それを人間の刑事が現場で確認する。
そういう関係になるのではないでしょうか。
2003年の『踊る大捜査線』には、「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!」という有名な言葉があります。
2026年以降の『踊る大捜査線』を想像するなら、
AIは会議室にも現場にもいる。しかし、事件を解決するのは最後まで人間である。
そんな世界が一番しっくりくるような気がします。
AIは、人間の代わりになるというより、現場の刑事にとっての新しい「相棒」や「捜査ツール」になるのかもしれません。
23年後の未来を考える
2003年にはSNSがありませんでした。
今では、組織の中で権限を持たない一人の人間でも、SNSを通じて世の中に声を届けられます。
そして2026年には、AIがあります。
人間が問いを立て、AIが大量の情報を整理する。
AIが別の可能性を示し、人間がそれを検証する。
人間の経験とAIの情報処理能力を組み合わせる。
これからは、AIに仕事を任せるか、人間がAIに仕事を奪われるかという二者択一ではなく、人間とAIが協調して仕事をする時代になっていくのかもしれません。
そう考えると、2003年の『踊る大捜査線』は、意外なほど現在につながっています。
組織と権限の関係は、それほど変わっていません。
一方で、SNSによって情報の流れは変わりました。
そして今度はAIによって、一人の人間が持てる「知的な道具」まで変わろうとしています。
映画を見ていたはずなのに
先日は、ただ懐かしい映画を見ていたつもりでした。
しかし、よく考えてみると、見ていたのは映画だけではありませんでした。
2003年の社会。
当時の企業社会。
「勝ち組」「負け組」という言葉。
絶頂期だったフジテレビ。
子役だった神木隆之介。
そして、41歳だった自分自身。
それらを2026年の現在から眺めていました。
23年前には存在しなかったSNSが、今では名もなき人の声を世間に届けています。
そして今度は、AIという新しい相棒が、私たちの隣に座っています。
2003年から23年。
変わったものと、変わらないものがあります。
そして、この先23年後には、AIはどこまで私たちの仕事や生活の中に入っているのでしょうか。
そんなことを考えながら、23年前の映画を見終えました。
懐かしい映画を見ていたはずなのに、最後に思い出したのは、41歳だった自分自身でした。