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【昇降機メーカー編⑲】神戸で過ごした二年間と、歴史が息づく二つの会場

神戸で過ごした二年間と、歴史が息づく二つの会場

 


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神戸勤務の二年間は「仕事の記憶が薄い時期」でした


神戸で過ごした二年間は、所長代理としての責任もあり、土曜日も出勤し、ほぼ毎日終電で帰る生活でした。働いていたという事実は残っているものの、仕事の細かな記憶はほとんど残っていません。忙しさに押し流され、日々が途切れなく続いていった時期だったからだと思います。

そんな中で、鮮明に残っているのは「音の記憶」と「場所の記憶」です。仕事の記憶が薄いほど、わずかな余白に差し込んだ体験が強く刻まれているのだと感じます。

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大阪城ホールという“熱量の残響”


神戸から電車に揺られて向かった大阪城ホールは、単なるアリーナではありませんでした。浜田省吾や松任谷由実のライブで感じた、音がまっすぐ前に飛んでくるあの感覚は、今でも鮮明に思い出せます。アリーナ型の会場でありながら、音響が暴れず、厚みのある音がきれいに届く稀有な空間でした。

そして何より、この会場には歴史の熱量が刻まれています。辰吉丈一郎が世界バンタム級王座に返り咲いた1997年の試合は、大阪城ホールの象徴的な夜です。自分が音楽を聴いたその空間に、格闘技の歴史的瞬間が刻まれていることを思うと、会場そのものが持つ“層の厚さ”に胸が熱くなります。

ライブの記憶と、スポーツの記憶。その両方が同じ場所に重なっていることが、私にはとても刺さります。

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旧フェスティバルホールは「文化の交差点」


改築前のフェスティバルホールは、日本でも屈指の音響を誇る会場でした。中島みゆきの声が空間全体を満たし、チューリップのアコースティックが驚くほど澄んで響く。木材を多用した柔らかい音場は、音が“生きている”と感じられるほどでした。

このホールが特別なのは、音楽だけではありません。夏の甲子園の抽選会場として、全国の球児たちが毎年ここに集まり、運命の一球を引いていました。音楽とスポーツが同じ舞台に立つ会場は、日本でもほとんどありません。

さらに、ディープ・パープルの《Live in Japan》の音源の一部が、このフェスティバルホールで収録されています。世界的ロックバンドの名盤と、甲子園の抽選会、そして自分が体験したライブが同じ空間に重なっている。その事実が、私にとっては何よりも刺さるのです。

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歴史が息づく場所で音を浴びた二年間


神戸で働いた二年間は、仕事の記憶がほとんど残っていません。それでも、大阪城ホールやフェスティバルホールへ向かった夜の記憶だけは、今も鮮明です。音楽を聴きに行ったという体験以上に、あの空間に刻まれた歴史の層を感じながら過ごした時間が、私の中で強く残っています。

ライブの音、会場の響き、そしてその場所が持つ歴史。
神戸での二年間は、仕事ではなく“場所の記憶”によって思い出される時期でした。
あの頃の自分を支えてくれたのは、音楽そのものだけでなく、歴史が息づく空間に身を置いたという体験だったのだと思います。