地方と首都圏では、大学の見方が違う──二つの評価軸はなぜ交わらないのか

- 横手高校は進学校なのか?から始まった話
- 首都圏では細かな序列が共有されています
- 地方では「知名度」が入口になります
- スポーツや芸能が大学の知名度を作ります
- 就職という「出口」では序列が粗くなります
- これは地方銀行にも似ています。
- ちなみに、筆者も地方では少し説明が必要な大学の卒業生です
横手高校は進学校なのか?から始まった話
横手高校の甲子園出場をきっかけに、「横手高校は進学校なのか」というネット上の議論がありました。
そこから、地方と首都圏では「進学校」や「大学」の見方そのものが違うのではないか、という疑問が生まれました。
今回は、そこから見えてきた大学評価の二つの物差しについて考えてみます。
大学についてネットで議論をしていると、どうも話がかみ合わないことがあります。
「この大学とこの大学はどちらが上なのか」
「MARCHと国立大学ならどちらが評価されるのか」
「地方国立と首都圏私大なら、どちらを選ぶべきなのか」
最近では「北大VS MARCH」のような議論も見かけます。
しかし、これは単純な大学序列の問題ではなく、地方と首都圏では、そもそも大学を見る評価軸が違うのではないかと思っています。
首都圏では細かな序列が共有されています
首都圏では、大学受験市場が非常に大きいため、大学について細かな情報が共有されています。
早慶上理、MARCH、成成明学、日東駒専……。
さらに、その大学群の中でも偏差値や学部、入試方式、就職実績などによって細かな序列が作られます。
受験生にとっては、
「この大学に合格すればワンランク上」
という感覚も生まれます。
これは、ある意味ではゲームにも似ています。
「強いキャラクターを一つ手に入れたい」
という感覚です。
もちろん大学はゲームではありません。
しかし、受験市場では大学名そのものがブランドになり、「どの大学を獲得できたか」という考え方が生まれやすいのです。
受験産業にとっても、大学をグループ化して「あと少しで一つ上」と説明することは非常に分かりやすい営業になります。
もともと存在する大学間の違いを、受験産業が分かりやすいブランド群や偏差値という数字に整理し、それが社会に定着していった面はあるでしょう。
地方では「知名度」が入口になります
ところが、地方に行くと事情が変わります。
大学受験をする子どもがいない家庭では、首都圏私大の細かな序列を知る必要がありません。
「明治大学は知っている」
「青山学院大学も知っている」
「中央大学や法政大学も知っている」
という程度でも、十分に生活できます。
一方で、武蔵、成蹊、成城、東京経済大学などになると、大学受験を経験した人でなければ詳しく知らないこともあります。
これは大学の評価が低いという話ではありません。
そもそも地方と首都圏では、大学について持っている情報量が違うのです。
地方では、偏差値よりもまず、
「その大学の名前を知っているか」
が入口になります。
例えばICU(国際基督教大学)は、大学関係者や進学事情に詳しい人には非常に評価の高い大学です。一方、地方の一般社会では、野球などで知られる亜細亜大学や、スポーツ・警察官などで知られる国士舘大学のほうが、大学名そのものは広く知られている地域があっても不思議ではありません。
つまり、「大学としての評価」と「地方の地域社会での知名度」は別物なのです。
スポーツや芸能が大学の知名度を作ります
地方で大学名を知るきっかけとして、スポーツの影響は非常に大きいと思います。
日大、東海大、中央大、明治大などは、大学野球や箱根駅伝などを通じて全国的に知られています。
青山学院も、現在では箱根駅伝によって全国区の知名度を持っています。
さらに甲子園も強力です。
日大三、東海大相模、東海大菅生など、大学の付属高校が甲子園に出場することで、大学名まで地方に届きます。
つまり地方では、
偏差値表から大学を知るのではなく、スポーツ、芸能、テレビ、著名な卒業生などを通して大学を知るという経路があるのです。
就職という「出口」では序列が粗くなります
そして、もう一つ重要なのが「入口」と「出口」の違いです。
大学受験では、偏差値によって非常に細かな序列が作られます。
しかし、大学を卒業して就職する段階になると、その序列はかなり粗くなります。
本人の能力、人物、経験、資格、学部、仕事との適性など、さまざまな要素が関係してくるからです。
特に地方企業では、首都圏私大の細かな序列をすべて共有しているとは限りません。
その一方で、地方国立大学には強い地域ブランドがあります。
東北大学、北海道大学、新潟大学、金沢大学などは、偏差値だけではなく、地域社会の中で長年積み重ねてきた信用があります。
地元の行政、企業、医療、教育などに卒業生がいる。
だから、
「この大学を出た人が地域社会で活躍している」
という実感があります。
地方では「大学」と「地銀」が似ています
これは地方銀行にも似ています。
地銀は地域の企業や住民を金融面から支えています。
そのため地方では、
「この銀行は地域で信用されている」
という評価が成立します。
大学も同じです。
「この大学は地域の人材を育てている」
という実績がある。
つまり地方では、地域社会の中で役割が見えることそのものがブランドになるのです。
首都圏での細かな偏差値序列とは、少し違う物差しです。
だから大学論争は平行線になります
首都圏では、
偏差値 → 大学群 → 学部 → 就職実績
という解像度の高い大学地図があります。
一方、地方では、
知名度 → 地域での信用 → 卒業生 → 地域社会での役割
という大学地図があります。
どちらが正しいのでしょうか。
私は、簡単には決められないと思います。
首都圏には首都圏の合理性があり、地方には地方の合理性があります。
つまり、二つの評価軸が存在しているのです。
だからネット上で大学論争をしても、なかなか話が交わらない。
そもそも見ている大学地図が違うからです。
ちなみに、筆者も地方では少し説明が必要な大学の卒業生です
ちなみに、こういう大学の知名度について書いている筆者自身は、
神奈川大学経済学部の出身です。
私が受験した1970年代末から1980年代初め、神奈川大学は現在とはまた違った位置にありました。
私の場合、大学を選ぶ際に大きかったことの一つに、学費が比較的低額だったことがあります。大学選びは、偏差値だけで決まるものではありません。
入試時の評価、学費、通学、家庭の事情など、現実的な条件を含めて決めるものです。
その後、神奈川大学は1997年、1998年に箱根駅伝で連覇しました。
大学の知名度は、こうしたスポーツによっても大きく変わります。
そして浜田省吾さんのファンにとっては、また別の意味で神奈川大学は有名です。
浜田さんは法学部でした。私は経済学部でした。
浜省ファンとしては、そこだけは法学部にしておけばよかったかなと思います。
大学の評価も知名度も、時代によって変わります。
地域によっても変わります。
見る人によっても変わります。
だからこそ、一つの偏差値表だけで、日本全国の大学を語ることはできないのではないでしょうか。