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【昇降機メーカー編⑭】 山形最終章:圧縮された3年間と、神戸行きの真相

山形編最終章:圧縮された3年間と、神戸行きの真相


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◆ 山形で過ごした“異常な密度”の3年間

山形での3年間は、私のキャリアの中でも特別な期間でした。
法改正の混乱、教育ゼロの現場、ISO偏重で現場が放置される状況、
グレー案件の判断を迫られる日々、相談できない孤独。
新人から中堅へ移行するタイミングとも重なり、
普通なら10年かけて経験するような出来事が、
一気に押し寄せた3年間でした。

折れてもおかしくない密度でしたが、私は折れませんでした。
ただ耐えたのではなく、静かに踏みとどまり続けました。

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◆ 会社が抱いていた「私への誤解」

今振り返ると、会社は私を
“東北から出ない人間”
だと認識していたのだと思います。

生まれも育ちも東北。
転勤も東北圏内。
そのイメージが強く刷り込まれていたのでしょう。

だからこそ、神戸行きの辞令は、会社にとって
「辞めさせる口実」として最適だったのだと思います。

遠方転勤を断って辞めていく社員は多く、
しかも肩書は“所長代理”。
会社命としては好条件なのに辞退した、という大義名分にもなる。

会社にとっては、
「辞めてもらうための辞令」
としては、これ以上ないカードだったはずです。

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◆ 妻と相談し、即日で「行きます」と答えた理由

辞令を受けたとき、私は妻に相談しました。
しかし、断る理由はありませんでした。
その日のうちに「行きます」と返事をしました。

会社の思惑を感じながらも、
私の中には別の感情が静かに芽生えていました。

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◆ 神戸行きで真っ先に思い浮かんだ“楽しみ”

神戸行きを聞いた瞬間、私の頭に浮かんだのは——

甲子園球場が近い。

秋田県代表を生で応援できる。
高校野球好きの妻も同じ気持ちでした。

さらに妻は清原選手のファンです。
オリックスの本拠地・グリーンスタジアム神戸にも行ける。

そして私自身は、浜田省吾のアリーナツアー、
そして各地の“ホールツアー”にも行ける距離になる。

辞令の裏に会社の思惑を感じながらも、
神戸には“人生の楽しみ”が確かにありました。

この小さな希望が、
あのときの私の背中を静かに押したのだと思います。

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◆ 大阪本社での「本当に来るとは思わなかったよ」

神戸行きを受諾し、大阪本社へ挨拶に行ったとき、
ある部長がこう言いました。

 「本当に来るとは思わなかったよ」

その一言で、会社の“読み”が完全にわかりました。
会社は、私が辞令を断ると踏んでいたのです。

辞める方向に流れると読んでいた。
だからこそ、あの辞令だった。

しかし私は、会社の読み違えを静かにひっくり返しました。

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◆ 山形で折れなかったことが、道を開いた

山形での3年間は、私を追い詰めた期間でしたが、
同時に私を鍛えた期間でもありました。

どれだけ追い詰められても、仕事を投げ出さなかったこと。
その静かな耐久力が、
会社の読み違えをひっくり返す力になりました。

会社は、壊れかけた人間を神戸に呼びません。
辞める寸前の人間に辞令は出しません。

私はギリギリのところで生き残り、
そして“会社が予想しなかった選択”をしたのです。

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