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【昇降機メーカー編⑨】就職氷河期の転職と、ブラック企業に飲み込まれた日々

「就職氷河期の転職と、ブラック企業に飲み込まれた日々」

 


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就職氷河期の真っ只中での転職

1996年、私は百貨店から昇降機メーカーへ転職しました。当時はバブル崩壊後の長期不況で、就職・転職市場は極めて厳しい状況でした。いわゆる“就職氷河期”の真っただ中で、企業は採用を絞り、中途採用はさらに狭き門でした。百貨店の人事担当者から「よく転職先があったねぇ」と言われたのは、まさにその時代背景を反映した言葉だったと思います。

百貨店業界もすでに冬の時代に入り、異業種への転職は簡単ではありませんでした。そんな中で、私は縁とタイミングに恵まれ、昇降機メーカーへの転職をつかむことができました。しかし、その会社が後に“ブラック企業”としての本性を見せていくとは、この時点では想像もしていませんでした。

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ブラック化していく組織の構造

入社当初は、現場の仕事に慣れることに精一杯で、会社の体質までは見えていませんでした。しかし、年月が経つにつれ、経営者の価値観が組織全体に影を落としていることがはっきりしてきました。当時のトップがブラックであれば、幹部もそれに呼応してブラック化していきます。現場に降りてくる指示は理不尽で、社員の声は届かず、沈黙が常態化していきました。

特に秋田営業所に配属された頃は、人間関係の悪さが際立っていました。所長とはOSがまったく違い、価値観も働き方も噛み合わない。今思えば、あのまま勤務を続けていたら、心身を壊していたか、辞めざるを得なかったかもしれません。

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後任が続かない職場の現実

その証拠に、私の後任となった営業はなかなか定着しませんでした。中には鬱を発症して退職した方もおり、その奥さんが怒って営業所に乗り込んだという話も聞きました。普段は強気な態度を取っていた所長が、その時は震えていたというのです。責任を問われる場面になると耐えられない──ブラック企業の管理職に典型的な姿でした。

こうした出来事は、個人の問題ではなく、組織そのものが壊れている証拠でした。まともな人ほど耐えられずに辞めていき、残るのは声を上げない人か、同調する人だけ。ブラック企業の連鎖が、静かに、しかし確実に進んでいたのです。

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それでも“乗るしかなかった”自分

 

とはいえ、当時の転職市場は厳しく、「辞めたら次がない」時代でした。完全失業率は上昇し続け、2002年には過去最悪の5.4%。有効求人倍率は0.5倍台で、仕事が半分しかない状況でした。30代以降の転職は特に難しく、「35歳転職限界説」が現実味を帯びて語られていた時代です。

そんな背景もあり、私はブラック化していく会社に“乗るしかない”状況でした。理不尽に耐え、組織の歪みに合わせ、なんとか日々をこなす。今振り返ると、あの頃の自分は、時代と組織の板挟みの中で必死に踏ん張っていたのだと思います。

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流れが変わる瞬間は突然に

しかし、不思議なことに、限界が近づくときほど“流れが変わる”ものです。秋田営業所での人間関係に悩んでいた頃、突然の山形転勤の辞令が下りました。あのまま秋田にいたら病んでいたかもしれない──そう思うと、この転勤は偶然ではなく、人生が呼吸を取り戻すための必然だったのかもしれません。