はじめての転勤と突然の辞令

初めての転勤は突然に
秋田で妻と二人暮らしをしながら昇降機メーカーの営業をしていた頃、思いがけない知らせが届きました。山形営業所の担当者が急に退職することになり、その後任として私が山形へ転勤するという辞令でした。懇意にしていただいた先輩だっただけに退職は残念でしたが、欠員補充という事情もあり、話は一気に進んでいきました。
隣県だから大丈夫と思っていた私
当時の私は、神奈川と秋田という二つの土地しか知らず、山形は「隣県だし、そんなに変わらないだろう」と軽く考えていました。しかし、実際に暮らしてみると、北東北と南東北では文化も気風も驚くほど違っていました。
北東北と南東北の文化の違い
北東北は濁音が多い独特のなまりが特徴ですが、南東北はアクセントの揺れによるなまりが中心です。耳に入ってくる言葉のリズムがまるで違い、同じ東北でも文化圏が変わることを実感しました。
一方で、酒田・鶴岡の庄内地域だけは例外的に秋田に近い文化を持っています。北前船の寄港地であり、同じ日本海側ということもあって、食文化や気質に共通点が多い地域です。
山形市という“仙台圏”での暮らし
私たちが暮らすことになったのは山形市でした。ここは仙台市に隣接しており、生活圏としてはむしろ宮城寄りです。買い物や娯楽の選択肢が一気に広がり、仙台でのLIVEにも気軽に行ける環境になりました。
実際、浜田省吾さんのLIVEに再び足を運べるようになったのも、この山形転勤がきっかけでした。秋田にいた頃は距離の問題でなかなか行けませんでしたが、山形からなら仙台はすぐ近く。音楽の楽しみが生活の中に戻ってきた瞬間でした。
秋田の高校野球観戦は“遠征”に変わった
一方で、秋田の高校野球観戦は山形市からの遠征という形になりました。これまで生活圏の中で追いかけていた秋田大会が、転勤によって“通うイベント”へと変わったのです。
それでも、秋田の球場に足を運ぶと、北東北特有の空気や応援の熱気が懐かしく、距離があってもつい通いたくなる魅力がありました。
東北大会へのアクセスが一気に広がる
さらに、春と秋に東北各県で持ち回り開催される東北大会については、山形市が拠点になったことでアクセスが格段に広がりました。宮城・福島・岩手・青森・秋田のどこへ向かうにも、山形は地理的に“真ん中”に近く、移動の選択肢が増えたのです。
秋田にいた頃は「遠征」という感覚が強かった東北大会が、山形に移ってからは「行こうと思えば行ける距離」になりました。仕事の合間を縫って、東北各地の球場を訪れる楽しみが増えたのは、この転勤がもたらした思わぬ副産物でした。
転勤がもたらした生活の変化
当時の私は秋田での職場の人間関係に悩んでいた時期でもあり、環境を変えることは前向きな選択になりました。さらに、転勤に伴う借り上げ社宅は家計にとって大きな助けとなり、夫婦の暮らしにも余裕が生まれました。
こうして、私の昇降機メーカーでのキャリアは、初めての転勤とともに「社宅付きの暮らし」と「新しい東北の見え方」という二つの変化を手に入れることになりました。