秋田での6年間を支えたもの

退路のない転職から始まった日々
秋田営業所での異業種への転職は、思いのほか苦労の連続でした。34歳での転職に加えて結婚も重なり、後戻りできない状況の中での再スタートでした。転職したとはいえ、経験も知識も乏しく、毎日が手探りの連続でした。それでも「最低限、この現場が終わるまでは責任を果たしたい」という思いだけが、自分を前へと押し出していました。
しかし現場は終わっても、また次の現場が発生します。その繰り返しは、まるでマラソンランナーが苦しさの中で「次の電柱まで」と自分を励まし、さらにその先の電柱を目指すような感覚でした。終わりの見えない日々の中で、私はただ目の前の仕事に向き合うしかありませんでした。
窮地で支えてくれた協力業者さん
そんな中で、私を何度も救ってくれたのは工事の協力業者さんの存在でした。異業種から飛び込んだばかりで不備も多く、現場で迷惑をかけることも少なくありませんでした。それでも彼らは、私の足りない部分を黙ってカバーし、時には厳しく、時には温かく助言をくれました。
段取りの組み方、現場の空気の読み方、ゼネコンとの距離感など、会社では教わらない“現場の呼吸”を教えてくれたのも彼らでした。私は彼らに支えられながら、少しずつ現場での立ち回りを覚えていきました。「この人たちがいるから、もう少し頑張れる」——そう思える存在がいたことが、秋田での6年間を支える大きな力になりました。
秋田で経験した製品と、今も残る足跡
周囲の支えもあり、この秋田での6年間で取り扱い製品のほぼすべての現場を経験することができました。ホームエレベーターから荷物用エレベーター、車椅子用の斜行型昇降機、椅子式階段昇降機といった福祉関連機器まで、多岐にわたる製品に携わりました。
当時担当した製品の中には、今でも秋田県内で稼働しているものが多くあります。家族と訪れた商業施設で、自分が関わったエレベーターや昇降機を“ユーザーとして”利用することもあります。その瞬間、あの頃の苦労や支えてくれた人たちの顔がふと浮かび、胸の奥に静かな誇りが生まれます。
その製品を家族と利用するたびに、当時の現場の空気や支えてくれた人たちの顔が思い浮かびます。自分が関わった仕事が今も誰かの日常を支えている——その静かな誇りが、今の私にとって何よりの励みになっています。
苦労が土台となった6年間
振り返れば、秋田での6年間は決して楽な時間ではありませんでした。しかし、退路のない状況で踏ん張り続けた経験、協力業者さんに支えられながら学んだ現場の知恵、そして多くの製品に携わった実績は、今の私の営業としての土台になっています。
あの時期を乗り越えたからこそ、今の自分がある——そう実感できる6年間でした。