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【昇降機メーカー編⑥】雪国はつらいよ条例──冬の秋田で外回り営業を生き抜くということ

雪国はつらいよ条例──冬の秋田で外回り営業を生き抜くということ

 


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 雪国の冬は、仕事よりまず“生存”でした

1990年代半ば、私は秋田で昇降機メーカーの営業として外回りをしていました。冬の秋田は、ただ寒いだけではありません。道路そのものが罠のように変化し、油断した瞬間に命を落としかねない環境でした。当時のスタッドレスタイヤは、いまほど高性能ではなく、凍結路面に乗った瞬間に車の意思は完全にこちらを離れます。「滑るか、止まるか、祈るか」。その三択しかありませんでした。

そんな環境で毎日走っていれば、事故寸前の瞬間など珍しくありません。むしろ「今日も無事だった」と思える日のほうが少なかったように思います。

 大型トラックに追突された朝

ある冬の朝、私は国道を控えめな速度で走っていました。路面は凍結し、車間距離も十分に取っていたつもりでした。しかし、後方から来た大型トラックは止まりきれず、そのまま後部に突っ込んできました。背中を殴られたような衝撃とともに、車体が大きく前へ押し出されました。

幸い、前に車はいませんでした。もし渋滞していたら、私は前後から挟まれていたかもしれません。営業車はへこみましたが、私は無傷でした。なぜ助かったのか、いまでも説明がつきません。

 ルート285で車が一回転した日

秋田市から北へ向かうルート285は、冬になると氷のステージのようになります。ある日、慎重に走っていたにもかかわらず、突然車が横に滑り出しました。ハンドルもブレーキも効かず、車体だけが勝手に回転していきます。

「終わった」と思った瞬間、車は一回転し、雪の壁にふわりと当たって止まりました。対向車が来ていたら正面衝突でしたし、後続車がいたら追突されていたでしょう。ここでも、私は無傷でした。

 高速道路でスピンし、ガードレールに接触

高速道路は安全だと思っていました。除雪もされ、道幅も広い。しかし、冬道は油断した瞬間に牙をむきます。カーブに差し掛かったとき、車が突然スッと横へ流れ、そのまま完全にスピンしました。景色が回り、前後左右が分からなくなる中、ガードレールだけが迫ってくるのが分かりました。

軽く接触して車は止まりましたが、もし後ろに車がいたら、あるいは横を大型車が走っていたら、結果はまったく違っていたはずです。

 それでも現場へ向かうしかなかった時代

こうした危険があっても、当時のメーカー営業には「現場に行くことがすべて」という文化がありました。電話で済ませるという発想はなく、雪が降ろうが吹雪になろうが、「お客様が待っている」の一言でエンジンをかけるしかありませんでした。

振り返れば、あの6年間は仕事というより生存競争でした。営業車は何度も傷つきましたが、私は一度も病院に運ばれませんでした。運が良かったのか、若さだけで乗り切ったのか、答えは分かりません。

ただ一つ言えるのは、あの冬を生き延びた経験が、私の営業としての骨を作ったということです。雪国はつらいよ条例──あの頃の私にとって、それは冗談ではなく現実そのものでした。