四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

【昇降機メーカー編⑤】昇降機メーカーで学んだ“深場”の世界と、縁が導いた最初の現場 

昇降機メーカーで学んだ“深場”の世界と、縁が導いた最初の現場

 


f:id:nintamam36:20260628070616j:image

 

建築基準法という深い森に踏み込む

入社当時、私の転職先会社は「総合エレベーターメーカー」の冠を掲げていました。生産から販売、設置後のメンテナンスまで一貫して手がける会社であり、その看板の重さは新人営業にも容赦なくのしかかってきました。営業職とはいえ、守備範囲は驚くほど広く、商品の仕様から各種法令まで、あらゆる知識が求められました。

特に建築基準法は、建物そのものを対象とした法律でありながら、昇降機は建物に付随する設備として扱われるため、随所で関わってきます。建物の用途や構造が変われば、昇降機に求められる要件も変わる。条文の表面だけでは判断できず、深い理解が必要でした。さらに厄介なのは、行政担当者や現場によって解釈が異なることも珍しくない点です。同じ仕様でも自治体が変われば「OK」と「NG」が分かれる。新人の頃は、そのたびに頭を抱えながら、条文と現場の狭間で格闘していました。

気づけば数年が過ぎていた日々

こうした現場対応と法令の読み込みに追われる毎日は、まさに“深場を泳ぎ続ける”ようなものでした。昨日覚えた知識が今日には通用しないこともある。行政の判断は変わり、現場の状況も案件ごとに違う。ひとつひとつに向き合っているうちに、季節の移り変わりすら意識しないほど時間は容赦なく流れていきました。

振り返れば、あの数年間は学びというより「鍛えられた」時間でした。建築、法令、現場の空気──それらに揉まれながら、少しずつ昇降機営業としての基礎体力が身についていったのだと思います。

縁が導いた最初の現場

そんな慌ただしい日々の中で、最初に任された現場には不思議な縁がありました。ひとつは、私の出身中学校に設置されていた給食用昇降機の入れ替え工事。子どもの頃に見慣れていた給食リフトを、今度は自分が担当者として扱うことになるとは思いもしませんでした。

続いて担当した大型案件は、百貨店時代に取り扱っていた計量器メーカの工場新築計画での荷物用エレベーターの納入でした。かつて売場で扱っていた製品の“向こう側”に、今度は昇降機メーカーの立場で足を踏み入れることになるという、これもまた不思議な巡り合わせでした。

しかし、そんな感傷に浸る余裕はまったくありませんでした。現場は待ってくれず、行政との調整も工務とのやり取りも次々と押し寄せてくる。懐かしさを感じる暇もなく、ただ必死に目の前の課題に食らいつく毎日でした。

必死に泳ぎ続けた先に見えたもの

気づけば、初心者の肩書きはいつの間にか消え、現場の空気にも行政の癖にも少しずつ慣れていきました。縁が導いた最初の現場に支えられながら、私は昇降機営業としての第一歩を確かに踏み出していたのだと思います。