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【昇降機メーカー編②】営業としての第一歩──商流の全体像が見えた街で

【昇降機メーカー編②】営業としての第一歩──商流の全体像が見えた街で

 


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 仙台から盛岡へ──“身体で覚えた製品”が“言葉”に変わるとき

仙台での1ヶ月は、金属の匂いと振動の中で、製品そのものを身体で覚える日々でした。
シャフトの中で先輩の背中を追い、製品の構造や動きを肌で感じる時間。
その経験を胸に、私は次の研修地である盛岡へ向かいました。

盛岡での実習は、いよいよ営業としての第一歩。
ここから、製品の知識が“言葉”として顧客に届く形へと変わっていきます。

 

 最初の帯同上司との出会い──OSが近いという幸運

盛岡で帯同したのは、私より10歳ほど年上の課長職の方でした。
30年近く会社にいた中でも、相性の良さは間違いなく五本の指に入る方です。

業務の話だけでなく、スポーツや音楽の雑談も自然にできる。
無理がなく、気を遣わず、会話がスッと流れる。
いま思えば、OSが近かったのでしょう。

そして何より、最初の営業実習の上司がこの方で本当に良かった。
そう心から思える人でした。

 設計事務所へのアプローチ──百貨店とは決定的に違う世界

盛岡での帯同訪問のほとんどは、設計事務所でした。
この時、私は初めてこの業界の“入口”がどこにあるのかを理解しました。

百貨店の商流は、
川上:メーカー
川下:百貨店(売場)
最終:顧客
というシンプルな構造でした。

しかし昇降機業界は、構造が似ているようで、決定的に違う点がひとつあります。
それが、設計事務所が商流の入口を握っているということです。

どのメーカーを採用するか、
どの仕様でいくか、
どのサイズ・速度・台数にするか、
法規・性能・整合性の判断。
これらはすべて設計が決める。

つまり、設計を押さえる=商流の流れを押さえるということでした。

百貨店には存在しなかった“意思決定者”。
ここが、私にとって最も大きな発見でした。

 商流の全体像が立体的につながった瞬間

盛岡での実習を通じて、私は初めてこの業界の商流を立体的に理解しました。

ユーザー(施主・管理者)
設計事務所・コンサル
ゼネコン・工務店
商社
メーカー(私の会社)

それぞれが何を気にし、どこに責任を持ち、どこで迷うのか。
百貨店で経験した“川上から川下までの流れ”と驚くほど似ている一方で、
設計事務所という“入口の存在”が大きく違う。

製品は違っても、商売の本質は同じ。
しかし、業界ごとの“入口”は違う。
この気づきは、盛岡でしか得られなかったものです。

 課長の営業スタイル──私の原型になった背中

盛岡の課長は、設計事務所での立ち振る舞いがとても自然でした。

設計の意図を読み取る。
技術を噛み砕いて説明する。
他社との比較を冷静に伝える。
相手が迷うポイントを先回りする。

その姿は、まさに“営業の型”そのものでした。

いま振り返れば、私の長い営業人生の原型は、この課長の背中にあります。
最初は模倣から始まり、そこに自分の色を重ね、肉付けしていった。
そうして、私の営業スタイルが形になっていきました。

 盛岡で得たもの──構造の理解と、人との出会い

盛岡での営業実習は、単なる研修ではなく、
商売の構造を理解し、人との出会いが自分を形づくるということを教えてくれた時間でした。

仙台で“身体で覚えた製品”が、
盛岡で“言葉として伝わる技術”へと変わっていく。

その転換点に、あの課長がいてくれたことは、
私のキャリアにとって大きな財産です。