四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

百貨店から昇降機メーカーへ気づけばいつも身近にあった「昇降機」という存在

百貨店から昇降機メーカーへ

気づけばいつも身近にあった「昇降機」という存在

 


f:id:nintamam36:20260628064245j:image

 

学校生活の節目に、同じメーカーの製品がありました

百貨店から異業種への転職を決めたとき、私が選んだのは昇降機専門メーカーでした。大手エレベーター会社ではありませんが、その社名にはどこか覚えがありました。なぜ記憶に残っていたのか──その理由は、思い返せば小学校時代にさかのぼります。

小学校2年生の頃、前年に木造校舎が火災で焼失し、新しく鉄筋コンクリート3階建ての校舎が建てられました。そこで私の目に飛び込んできたのが、給食運搬用の小さなリフトでした。物珍しさもあり、子どもながらに強く印象に残っています。

当時は象印やタイガーのように動物ロゴを前面に出すメーカーが多く、キャラクター文化が当たり前の時代でした。しかし、そのリフトにはキャラクター名はありながら、製品にはキャラクターの要素が一切なく、どこか無骨で実直な雰囲気がありました。「どうしてだろう」と疑問に思ったことを今でも覚えています。後に会社案内を見て、その理由がすっと腑に落ちました。

---

驚いたことに、中学校にも同じメーカーの給食用リフトが導入されていました。さらに転職後、最初に担当した工事が、まさにその製品の入れ替え工事だったのです。まるで長い時間をかけて一本の線でつながっていたような、不思議な感覚を覚えました。

振り返れば、私の出身高校にもそのメーカーの製品が入り、大学の図書館にも同じロゴがありました。異業種への転職だと思っていたものの、実はずっと身近にその会社の製品が存在していたのです。

また、後になって知ったのですが、家族が働く職場にも、このリフトが使われていた時期がありました。特別に語られることはありませんでしたが、日々の仕事を支えていた機械が、自分の進む道とどこかで重なっていたのだと思うと、静かな縁のようなものを感じます。

---

百貨店時代にも、昇降機は確かに「そこにありました」

転職当時は深く意識していませんでしたが、百貨店という職場もまた、昇降機の宝庫でした。店舗から物流センターまで、荷物用エレベーター、垂直自動搬送設備、本館には展望用エレベーターをはじめとする多種多様な昇降機がインフラとして稼働しています。

売場で働く立場として、私は日常的にそれらの設備に触れていました。お客様を乗せるエレベーター、バックヤードで荷物を運ぶエレベーター、物流センターで黙々と働く搬送設備──それらは百貨店の「縁の下の力持ち」として、確かに存在していました。

今振り返ると、「使用者の目線」で昇降機を体験できたことは、後にメーカーへ転職した私にとって大きな財産になりました。設備の動きや使い勝手、現場での困りごとなど、利用者としての実感を持てたことは、メーカー職に就いた後の視点にもつながっています。

---

まとめ──偶然ではなく、必然の転職だったのかもしれません

百貨店から昇降機メーカーへ。
大きな転身に見えますが、振り返れば私の人生の節目にはいつも昇降機がありました。小学校、中学校、高校、大学、そして百貨店勤務時代。気づけば、ずっと身近に存在していたのです。

そして、家族の働く現場にも同じリフトがあったことを知ったとき、私がこの会社を選んだことは、偶然ではなく、どこか必然だったのかもしれない──そんな静かな思いが胸に残りました。

あのとき校舎で見上げた小さなリフトのように、これからも人の暮らしを支える仕事を続けていきたいと思っています。

---

【次回予告】

いよいよ「昇降機メーカー編」の本編に入ります。
私がどのように現場へ入り、どんな学びを得ていったのか──その最初の一歩をお話ししていきます。