百貨店から昇降機メーカーへ
― 300系が走っていた1996年の春、その曖昧な記憶 ―

大阪本社へ向かった三月の朝
百貨店編と昇降機メーカー編のあいだにはわずかに重なる期間がありました。
その中でも、三月に大阪本社へ最終面接に向かった日のことは、今でも鮮明に覚えています。
東北出身の私は、当時、関東より西へ行くことはめったにありませんでした。
だからこそ、新横浜から大阪へ向かう新幹線に乗り込むだけで、どこか“未知の世界へ踏み込む”ような感覚がありました。
ただ、ひとつだけ曖昧なことがあります。
あの日、自分が乗ったのは「のぞみ」だったのか、それとも「ひかり」だったのか。
記憶ははっきりしません。
というのも、1996年当時は、のぞみが登場してまだ数年。
本数も限られ、ひかりが依然として主力の時代でした。
しかも、ひかりの一部にも300系が使われていたため、
「300系に乗った記憶はあるが、列車名は曖昧」
というのは、むしろ自然なことなのです。
新横浜ホームで見た「春の別れ」
新横浜駅のホームに立つと、白い車体に青いラインをまとった300系が静かに停車していました。
丸みを帯びた卵形の先頭部は、当時としては最先端のデザインで、平成初期の“未来感”を象徴するような姿でした。
まだ登場して間もない頃で、ホームに現れるだけで周囲の空気が少しざわつくような、そんな存在感がありました。
その横では、卒業を機に地元へ帰るのでしょう、大学生らしき若者たちが仲間と別れを惜しんでいました。
笑い声と涙、肩を叩き合う姿。
春の光の中で繰り広げられるその情景は、人生の節目そのものに見えました。
大阪の街に満ちていた春の空気
新幹線に揺られながら大阪に到着し、タクシーに乗り込むと、車窓には満開の桜が流れていきました。
ラジオからは春のセンバツと大相撲大阪場所の実況。
街全体が「春爛漫」という空気に包まれていましたが、私の胸の内には前途への不安が重くのしかかっていました。
未知の業界への挑戦。
果たして自分に務まるのか。
桜の色とは対照的に、心の中には暗雲が立ち込めていたのです。
帰りの新幹線で起きた意外な出来事
しかし、意外な出来事が帰りの新幹線で待っていました。
無事に内定をいただき、帰路につくために再び指定席に腰を下ろしたところ、隣に座っていた中年の男性から声をかけられました。
出張帰りで、下車駅も新横浜とのことでした。
今では考えられないことですが、当時は警戒心も薄く、自然と会話が弾んでいきました。
再就職先の面接に来て内定をもらったこと、百貨店からまったく違う業界へ飛び込もうとしていることなど、気づけばこちらも包み隠さず話していました。
相手もまた、仕事のこと、家族のこと、人生のことを語り、二人の会話はどんどん盛り上がっていきました。
新横浜でまさかの「二人飲み」
そして新横浜に着いたあと、なんと二人でそのまま居酒屋へ入ることになりました。
見知らぬ人とそんな流れになることなど、64歳になった今ではまずありません。
しかし、1996年の空気はまだどこか緩やかで、人と人との距離が近かったのだと思います。
あの夜の出来事は、時代の温度を象徴するような、不思議で温かい思い出として今も残っています。