百貨店編⑰ 百貨店ブランドが届かない場所で学んだこと

秋田に降り立った日――静かな街に感じた戸惑いと期待
秋田に赴任した日のことを、今でもよく覚えています。
横浜や東京の喧騒に慣れた身には、秋田駅前の静けさがまるで別世界のようでした。
空気が澄んでいて、街の歩みがゆっくりで、時間の流れ方が違う。
その落ち着きに安堵しながらも、どこか心細さが混じっていました。
「ここで、自分は何ができるのだろう」
そんな問いが、胸の奥に静かに沈んでいきました。
百貨店の名が届かない土地で
赴任してすぐに痛感したのは、秋田では会社の百貨店ブランドがほとんど知られていないという現実でした。
大都市圏では“百貨店のイメージが一定の重みを持ちますが、秋田ではその前提が通用しません。
「S百貨店さんは、どういうお店なんですか」
そんな質問を受けることも珍しくありませんでした。
百貨店文化の歴史も、地域の商習慣も、大都市圏とはまったく違う。
その違いを理解するまでに、思った以上の時間がかかりました。
中途半端な店舗構成と、バブル終焉の影
ホテルのショッピングアーケードは、専門店と一部直営店舗、そしてギフトショップという構成でした。
百貨店としての“核”が弱く、どこか中途半端な印象は否めませんでした。
さらに、時代はちょうどバブル景気の終わりへと向かう頃。
売上の鈍り、テナントの撤退、ホテル側の事情――
さまざまな要因が重なり、現場には静かな焦りが漂っていました。
「このままでは厳しい」
そんな空気が、日を追うごとに濃くなっていきました。
ただ一つの救い――秋田行きを決めた先輩の存在
そんな不安定な環境の中で、私にとって唯一の救いとなったのが、
秋田行きを決めるきっかけをつくってくれた先輩が、ちょうど後半の2年間、テナント管理部門の責任者として赴任してきてくれたことでした。
派手な助言があったわけではありません。
ただ、同じ空気を知る人が近くにいるというだけで、心のどこかがふっと軽くなる瞬間がありました。
「大丈夫だ。なんとかなる」
そう思えるだけの支えが、確かにそこにありました。
秋田での4年間が教えてくれたこと
秋田での4年間は、決して順風満帆ではありませんでした。
ブランド力が届かない土地で、バブルの終焉という逆風を受け、
ショッピングアーケードの立て直しは容易ではありませんでした。
結果として、私はわずか4年で横浜へ戻ることになりました。
短いと言えば短い。
けれど、その4年間は私にとってかけがえのない時間でした。
秋田の人の温かさ、土地の静けさ、そして後に続いていくご縁。
あの先輩の存在がなければ、私はあの4年間をあの形で過ごせなかったでしょう。
偶然の再会から始まった秋田での日々は、
静かに、しかし確かに、私の人生の流れを変えていきました。