四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

【百貨店編⑬】販売チャンネルと催し物担当の仕事——“週単位のプロジェクト”が教えてくれたこと

百貨店の販売チャンネルと催し物担当の仕事——“週単位のプロジェクト”が教えてくれたこと

 


f:id:nintamam36:20260624191019j:image

 

百貨店の販売チャンネル

百貨店の各商品課には、いくつかの販売チャンネルが存在していました。

まず基本となるのが、常設の売り場を担当する“プロパー”業務です。ここでは日々の接客や売上管理、在庫の把握など、いわゆる百貨店の“顔”としての役割を担います。

それに加えて、各商品課には“催し物担当”が割り当てられており、催し物会場でのバーゲンや特設イベントへの出展も重要な業務の一つでした。たとえば「春の大感謝祭」などの全館イベントをはじめ、「かっぱ橋道具祭り」や「アイディア用品百貨市」など、各課独自の催事も定期的に開催されていました。

さらに、外商担当という販売チャンネルも存在し、法人顧客や大口取引先に対して必要な商品を提案・手配する役割を担っていました。

このように、百貨店では一つの部署が複数の販売チャネルを兼任し、それぞれの場面に応じた柔軟な対応力が求められていたのです。

催し物担当という裏方の仕事

なかでも催し物担当の仕事は、非常に実務的で多岐にわたるものでした。

広告やチラシの校正、広報宣伝との連携、催し物会場の設営計画、搬入・搬出のタイムスケジュールの作成、商品の手配、そして関連部署や外部取引先との折衝――一つのイベントを立ち上げるために、事前準備は綿密で、調整力と段取り力が問われました。

催事は会場がオープンした瞬間に結果が見え始めます。しかし、その裏側では何週間も前から多くの人が動いています。お客様の目に触れるのは華やかな売り場ですが、その舞台裏では数え切れないほどの準備と確認作業が行われていました。

百貨店は「週単位のプロジェクト」

私は後になって、この仕事を「週単位のプロジェクト」だったのだと感じるようになりました。

毎週のように新しい催事が始まり、終わればすぐ次の企画が動き出す。限られた会場スペースと限られた期間の中で、売上目標を達成するために商品構成を考え、人員配置を決め、販促計画を組み立てていく。

現在で言うプロジェクトマネジメントという言葉は当時それほど一般的ではありませんでしたが、実際に行っていた仕事はまさにそれに近いものでした。

関係者との調整、進捗管理、トラブル対応、そして最終的な成果の検証まで、一連の流れを経験できたことは非常に大きな財産になりました。

昇降機メーカーで感じた既視感

この経験は、後に私が転職した昇降機メーカーでの新築建設現場の工程づくりと非常によく似ていると感じています。

製品をいつ手配し、いつ現場に搬入し、いつ据付工事を行い、いつ引き渡すのか。すべてをタイムスケジュールに沿って実施するという点で、共通する部分が多くありました。

工事現場でトラックの搬入ルートを確認したり、設営の順番を調整したりする作業は、百貨店の催し会場でも同じように必要とされていました。

扱う商品や業界はまったく違っていても、「人と物と時間を動かす」という本質は変わらなかったのです。

売る仕事だけではなかった百貨店

百貨店というと接客や販売のイメージが強いかもしれません。

もちろん売場に立ってお客様と接することは仕事の中心でした。しかし実際には、企画、広報、物流、会場運営、取引先との交渉など、多くの要素が複雑に組み合わさって成り立っていました。

若い頃は目の前の仕事をこなすことに精一杯でしたが、振り返ってみると百貨店は単なる小売業ではなく、多くの人や企業を結びつける総合プロデュース業だったのかもしれません。

今振り返って思うこと

当時は催し物担当の仕事を特別なものとは考えていませんでした。

しかし、異業種へ転職し、さらに長い職業人生を歩んだ今になって振り返ると、そこで培った段取り力や調整力、そして全体を見渡しながら物事を進める視点は、その後の仕事の土台になっていたように思います。

人は転職によって業界を変えることはできますが、若い頃に身につけた仕事の基本は意外な形で次の職場でも生き続けます。

百貨店の催し物担当として過ごした日々は、私にとって単なる売場経験ではなく、社会人としての「プロジェクト運営」の原点だったのかもしれません。