- 先輩になった春——肩の荷物と心の軽さ

「教わる側」から「教える側」へ
入社して2年目の春、私の部署に初めての後輩が配属されました。
その瞬間、私の中でひとつの節目が訪れたように感じました。
これまで“教わる側”だった自分が、“教える側”になるという変化に、戸惑いや緊張がありながらも、どこか小さな誇らしさが芽生えていました。
私の部署にやってきた後輩は、いわゆる“イケメン”で、しかもナイスガイでした。
物腰は柔らかく、礼儀正しく、誰に対しても自然体で接することができる人でした。
その姿を見たとき、私は思わずこう感じました。
「これは、能代高校の大先輩・山田久志投手が、後に阪急に入団した山口高志投手の速球を初めて見たときの衝撃に近いかもしれない」と。
もちろん例えは違いますが、それほどの“来たな”という感覚があったのです。
しかも山口投手がナイスガイだったように、彼もまた人柄の良さがにじみ出ていました。後輩でありながら、どこか安心感を与えてくれる存在でした。
体育会系の後輩たちが運んできた明るさ
一方で、他部署には体育会系の後輩もいました。
彼らはまた別の空気を職場に持ち込んでくれました。
「にんたまんさん、今日のスーツ渋いですね!」
そんな一言を、何のてらいもなく投げかけてくれるのです。
単純明快で裏表がなく、場を明るくする力を自然に持っている。
その言葉に私はつい笑ってしまい、気分がふっと軽くなるのを感じました。
自分も、あんなふうに誰かを明るくできたらいいなと思いながらも、私は私なりのやり方で職場に関わっていこうと決めていました。
「先輩」という立場が教えてくれたこと
縦社会の色濃い職場では、「1つ上」というだけで責任も期待も大きくなります。
しかし、後輩たちの存在は、私が背負っていた荷物を少しずつ分担してくれました。
雑用が自然と分かれ、気づけば肩の荷物が軽くなっていました。
そしてそれと同じように、心の重さもまた、少しずつ和らいでいきました。
“先輩”という立場は、ただ年次が上がるだけではなく、自分の立ち位置や役割を見つめ直す機会でもあります。焦りや戸惑いの中で、私は少しずつ、自分なりの立ち方を探し始めていたのだと思います。
肩の荷が軽くなると、景色も変わる
後輩ができたことで、仕事の風景は少しずつ変わりました。
任されることが増え、責任も増えました。けれど、それ以上に「自分だけで抱え込まなくていい」という安心感が生まれました。
春の光が少し柔らかく感じられたのは、肩の荷物が軽くなったからだけではなく、心のどこかに“余白”が生まれたからなのかもしれません。