学生ヘルパー編 最終章 就職活動と“働く”ということ

就職活動という名の模索
アリック日進でのアルバイトも終盤に差しかかる頃、私は大学4年生になり、就職活動を始めることになりました。
とはいえ、取り立てて明確な職業観があったわけではありません。
私の大学は一流どころではなく、身の丈に合った企業の就職セミナーに参加する日々。ゼネコン、メーカー、クレジット・リース会社――業種に脈絡はなく、ただ目の前にある選択肢を一つひとつ拾っていくような感覚でした。
今の学生のようにインターネットで企業研究ができる時代ではありません。情報源は会社案内や就職情報誌が中心。企業の将来性を判断する材料も限られていました。
アルバイト経験が与えた影響
そんな中でも、アリック日進でのアルバイト経験は少なからず私の就職観に影響を与えていました。
家電量販店の売場で働く中で、小売業の忙しさや土日祝日の勤務を身をもって経験していたこともあり、「できれば土日祝日が休みの業態がいい」という思いが自然と芽生えていました。
そして売場で日常的に接していた音響メーカーにも興味を持つようになります。
そこで、ソニー系のオーディオメーカーや、ヘッドホン・マイクロホンなどを主力とする音響機器専門メーカーの会社説明会に参加。6月には後者から内定をいただくことができました。
今の就職氷河期世代やその後の世代からすると信じられないかもしれませんが、会社説明会への参加は10社にも満たず、6月には一社から内定を獲得。当時としては順調な就職活動だったと思います。
一本の電話が運命を変えた
ところが、その後の展開はまったく予想していないものでした。
就職解禁日であった10月1日を前に、高校時代の同級生から一本の電話が入ります。
「午後から大手百貨店の採用試験に行くんだけど、一緒に行かないか?」
私はその日の午前中に別の予定があり、午後は空いていました。
特に断る理由もなく、「じゃあ行ってみるか」と軽い気持ちで同行することにしました。
結果は、まるで昔のオーディション番組のような展開でした。
誘ってくれた同級生は途中で選考から外れ、なぜか私は最終面接まで進み、内定をいただくことになったのです。
安定を選んだあの日
突然、私は二つの内定先の間で選択を迫られました。
家族、友人、先輩、アルバイト先の関係者など、合わせて10人ほどに相談しました。
結果は全員一致でした。
「大手百貨店にした方がいい」
当時、音響機器専門メーカーは業界内ではどちらかといえば周辺機器メーカーという位置付けでした。
主力商品の一つであるレコードプレーヤー用部品も、CDの普及によって将来的には縮小していくのではないか――そんな見方が一般的でした。
一方で大手百貨店は誰もが知る有名企業です。
私は迷うことなく「安定」を選びました。
奇しくも、自分が最も避けたいと考えていた土日祝日勤務が当たり前の小売業を選んだのでした。
未来は誰にも読めない
しかし、その後の歴史は当時の予想とは異なるものになりました。
私が選んだ大手百貨店は、2000年に経営破綻。現在も店舗は残っていますが、当時とはまったく異なる経営体制となっています。
一方、私が辞退した音響機器専門メーカーは見事に生き残りました。
アナログからデジタルへの移行を見据えながら事業を展開し、カラオケブームの追い風も受け、マイクロホンやヘッドホンなどの周辺機器事業を大きく成長させました。
多くの大手オーディオメーカーが姿を消したり事業を縮小したりする中で、現在も確かな存在感を保っています。
当時の私にも、周囲の誰にも、この未来は見えていませんでした。
学生ヘルパー時代が教えてくれたこと
先々のことは誰にも予想できません。
まして何十年も先の社会や企業の姿など、なおさらです。
だからこそ若い頃の選択に絶対的な正解はないのだと思います。
大切なのは、その時点で持っている情報の中で真剣に考え、自分なりに納得できる道を選ぶこと。
そして選んだ道を、自分の足で丁寧に歩いていくことではないでしょうか。
アリック日進での学生ヘルパー時代は、売場で商品を販売するだけではなく、人との出会い、働くことの楽しさ、そして人生の選択について、多くのことを学んだ貴重な時間でした。
こうして振り返ると、あの数年間は私にとって社会人としての原点だったように思います。
学生ヘルパー時代は、私にとって社会人への助走期間でした。
売場で学んだこと、人との出会い、そして就職という人生の選択。そのすべてが、その後の会社員人生の土台になったように思います。
次回からは「百貨店編」。
バブル景気を迎える前夜、大手百貨店に入社した新人社員の日々を振り返ります。