学生ヘルパー編⑧ 横浜駅西口の風景と記憶

活気に満ちていた横浜駅西口
1982年から1985年。私が学生ヘルパーとして売場に立っていた頃の横浜駅西口は、今と変わらぬ賑わいを見せていました。いや、むしろ、あの頃のほうが街全体に独特の“熱気”があったようにも思います。
通勤は東横線。改札を抜けると、右手には堂々たる横浜高島屋の姿がありました。その奥には、当時としては珍しい高層建築だった天理ビルがそびえ立っています。地方出身の学生だった私にとって、その景色はまさに「大都市・横浜」を象徴する風景でした。
毎日のように見ていた景色でしたが、若かった私にはその一つひとつが新鮮で、社会へ踏み出していく入り口のようにも感じられていたのです。
商業都市・横浜の中心地
アリック日進の入っていたビルは、現在ではドン・キホーテが入居していると聞きます。当時は、そのビルへ向かう途中に「ニイチ」があり、背後にはダイエーをはじめ、多くの商業施設が立ち並んでいました。
今では姿を消した店舗も少なくありませんが、当時の横浜駅西口は神奈川県でも屈指の商業集積地でした。
休日ともなれば人の波が絶えることはなく、買い物客、学生、会社員、家族連れが入り交じりながら行き交います。売場に立っていると、街全体が巨大な商店街のように感じられました。
店内で接客をしていても、外の街の活気が伝わってくる。人の流れ、雑踏の音、ネオンサインの光、飲食店から漂う香り。そのすべてが売場と地続きになっていたような時代でした。
学生生活とアルバイトの日々
飲食店も多く、仕事終わりにはそのまま西口周辺で夕食を済ませることがよくありました。
もちろん学生ですから、お金に余裕があったわけではありません。アルバイト代が入る前になると財布の中身は心もとなく、安い定食屋やラーメン店が頼みの綱でした。
それでも、不思議と惨めな気持ちにはなりませんでした。
昼までは大学生、午後からは売場のスタッフとして働く。まだ社会人ではありませんが、学生だけでもない。そんな中途半端な立場だったからこそ、自分が少しずつ社会に近づいている感覚があったのかもしれません。
仕事を終え、人通りの多い西口を歩きながら駅へ向かう時間は、どこか安堵する気持ちもありました。
雑踏の中にあった自分の居場所
今思えば、特別な出来事があったわけではありません。
有名人に会ったわけでもなければ、大きな成功体験があったわけでもありません。毎週のように同じ売場に立ち、同じ通路を歩き、同じ駅を利用していただけです。
しかし、あの頃の私には確かに居場所がありました。
学生ヘルパーという立場ながらも売場という空間があり、お客様との出会いがあり、街には活気がありました。そのすべてが自然につながっていたように思います。
40年以上の歳月が流れた今でも、横浜駅西口の雑踏やネオンの光を思い出すことがあります。
人は特別な出来事だけを記憶するのではなく、「自分が確かにそこにいた」という感覚を記憶しているのかもしれません。
だからこそ私は今でも、あの時代の横浜駅西口を懐かしく思い出すのでしょう。あの雑踏の中に、確かに若き日の自分の居場所があったのですから。
次回は学生ヘルパー編の最終回となります。