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横手高校が駆け抜けた1969年──市民の歓喜と私の最初の高校野球

横手高校が駆け抜けた1969年──市民の歓喜と私の最初の高校野球

 


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昭和44年、横手高校が迎えた“特別な夏”


昭和44年(1969年)、横手高校は創部以来初めて夏の甲子園出場を果たしました。横手市内は大きな期待と喜びに包まれ、市民の歓迎ぶりは能代市出身の私から見ても、同じかそれ以上の熱気を感じさせるものです。市報には、駅前に集まった市民や提灯行列の様子が記録されており、地域全体が横手高校の快挙を誇りに思っていたことが伝わってきます。

 

八橋球場での連勝と大石投手の存在


横手高校は昭和43年秋から昭和44年夏の西奥羽大会まで、八橋球場で連勝を続けていました。秋田魁新報「八橋球場の50年」では、当時のエース・大石正行投手が「敬遠策など無縁の投手」と紹介されています。真っ向勝負を貫く投球は、横手高校の野球そのものを象徴していたといえます。

昭和44年夏の西奥羽大会決勝、横手高校と秋田商業が対戦した試合は、小学校2年生だった私にとって、もっとも古い“秋田県代表決定戦”の記憶です。この年の夏が、私にとって高校野球を見ることのスタートになりました。

【昭和44年 西奥羽大会 決勝(秋田・八橋)】
秋田商 000 000 000|0
横手  000 021 04X|7

 

名門・平安高校との甲子園初戦

甲子園初戦の相手は、後にこの大会で準優勝する三沢高校が1-0で辛勝した名門・平安高校でした。横手高校は強豪相手に最後まで粘り強く戦い、試合を壊すことなく終盤まで食い下がりました。

平安高校戦の試合内容

(秋田さきがけ新報、市報よこて、当時の証言を総合)

昭和44年夏、横手高校は初出場ながら名門・平安高校と対戦しました。
試合は序盤から緊張感のある展開となり、横手高校は初回に先制の絶好機をつかみました。

一死から安打と相手の守備の乱れを絡めて走者を三塁まで進め、
スタンドの応援にも勢いが出た場面でしたが、あと一本が出ず無得点に終わりました。
この初回の好機を生かせなかったことが、試合全体の流れに影響したと記録されています。

その裏、横手高校のエース・大石投手は落ち着いた立ち上がりを見せ、
平安打線に対して真っ向勝負を貫きました。
秋田さきがけ新報には 「大石投手は10奪三振」 と明記されており、
強打の平安を相手に堂々と渡り合った内容だったことがわかります。

大石投手は三振を奪いながらリズムをつくり、
平安打線の振り遅れを誘う場面が続きました。特に三回は直球で押し込み、最後は外角への変化球で空振り三振を奪うなど、
初出場校のエースとは思えない落ち着きがありました。

五回、平安高校は連打で得点圏に走者を進め、横手高校は守備位置を微調整しながら対応しましたが、内野ゴロの間に1点を失いました。

それでも大石投手は崩れず、
七回・八回と再び三振を奪いながら試合を立て直しました。
さきがけ新報の記述では、
「強豪平安を相手に10奪三振。気迫の投球で試合を壊さなかった」
と評価されており、
敗戦の中にも大石投手の存在感が際立っていたことがうかがえます。

攻撃では、横手高校は終盤に意地を見せました。
九回、相手投手の球威が落ちたところを逃さず、
安打と進塁打で走者を三塁に進め、
内野ゴロの間に1点を返しました。
最後まで諦めない姿勢が印象的で、
スタンドからは大きな拍手が送られたと記録されています。

最終スコアは 1-3。
初出場校としては十分な内容で、
名門・平安高校を相手に互角以上の戦いを見せた試合でした。
大石投手の10奪三振は、今も横手高校野球部の歴史に残る熱投として語り継がれています。

【昭和44年 夏の甲子園 1回戦】
平安 020 010 000|3
横手 000 000 001|1

 

その後の歩みとこれからの期待

横手高校は昭和44年を最後に、夏の甲子園には戻ってきていません。しかし、この年の記憶は地域に深く刻まれ、今も横手高校野球部の大きな支えになっています。昭和44年の夏が残したものは、単なる結果ではなく、地域の誇りと次代への期待そのものです。これからの横手高校が、再び夏の舞台に立つ日を楽しみにしています。

 

【参考文献】
秋田魁新報「八橋球場の50年」1991年11月16日・12面「敬遠策など無縁の投手」
市報よこて 2016年7月1日 No.258