昭和38年 ― 能代高校、悲願の甲子園初出場
― 昭和36年「天覧試合」からわずか2年後に起きた奇跡 ―
- 市民の夢が動き出した昭和38年
- 太田久監督の三年計画
- 大曲農との決勝戦 ― 八橋球場が揺れた日
- 甲子園での晴れ姿と、23年越しの涙
- 初戦勝利、そして敗退 ― しかし残ったものは大きかった
- 昭和36→38→39年へつながる一本の線
能代市にかつて存在した「能代市営球場」。その名を覚えている人は、今では地元でも少なくなりました。球場は跡形もなく消え、案内板も記念碑もありません。しかし私には、子どもの頃に耳にした「ここで天覧があったらしい」という話と、バックネット裏に石碑のようなものがあった記憶が、かすかに残っています。
昭和36年、能代市営球場には天覧席が設けられ、宮内庁の視察団が訪れました。あの出来事は、能代という街にとって、戦後最大級の緊張と誇りが交錯した瞬間でした。
そして今振り返ると、あの“天覧試合”は単なる一日の出来事ではなく、能代スポーツ文化の覚醒点だったのではないかと感じています。そのわずか2年後、能代高校はついに甲子園の土を踏むことになるからです。
市民の夢が動き出した昭和38年
北羽新報社『戦後の証言』には、当時の空気がこう記されています。
「甲子園への夢は、市民の夢でもあった」
私はまだ2歳で、当然ながらこの出来事の記憶はありません。しかし、当時の記事を読むだけで胸が熱くなるものがあります。紙面から立ち上がる熱気、歓声、そして能代という街全体の高揚感。そのすべてが、今の私たちにも伝わってくるのです。
昭和36年の天覧試合で、能代市は“全国から見られる”という経験をしました。その延長線上に、昭和38年の市民総出の熱狂が自然に生まれていったのだと思います。
太田久監督の三年計画
昭和35年春に就任した太田久監督は、就任当初から三年計画で甲子園をめざしました。その指導はスパルタとして知られ、ときには批判も浴びましたが、監督も選手もそれを乗り越え、ついに三年目に実を結ばせます。
太田監督はこう語っています。
「勝負根性は一朝一夕にはできない。これでもか……という闘志は、猛練習の中からしか生まれない」
昭和36年の天覧試合で街が“本気”を経験した直後、能代高校野球部もまた“本気の三年間”を歩み始めていたのです。
大曲農との決勝戦 ― 八橋球場が揺れた日
昭和38年7月28日。焼けつくような八橋球場の一塁側スタンドは、市民の歓声と紙吹雪で揺れました。
「テープと紙吹雪が舞い、歓呼のどよめきがこだました」

能代高校は大曲農を6–4で破り、悲願の甲子園初出場を決めました。簾内政雄投手は三連投で調子が万全ではなかったものの、バックの好守と打線の援護で勝利をつかみました。
市民の熱狂ぶりは、昭和36年の天覧準備を思わせるほどでした。
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【秋田県大会 決勝】
能代高校 6-4 大曲農業
(昭和38年7月28日・八橋球場)
能代高 000 131 001 6
大曲農 000 020 200 4
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甲子園での晴れ姿と、23年越しの涙
8月9日の開会式。能代高校は45番目に入場しました。太田監督は三塁側の席でその姿を見て、思わず涙をこぼしたといいます。
そして、昭和15年の奥羽大会で“痛恨の暴投”をした金谷忠治さんは、
ネット裏で後輩の行進を見ながらこう語りました。
「オレの暴投もこれでやっと報われた」
昭和36年の天覧準備で整えられた「街の誇り」が、昭和38年の甲子園行進で“23年越しの救い”となって結実した瞬間でした。
初戦勝利、そして敗退 ― しかし残ったものは大きかった
一回戦、能代高校は滋賀県代表・長浜北に12–1で大勝。二回戦は岡山東商に1–5で敗れましたが、平川民治ヘッドコーチはこう語っています。
「みんな見違えるほど成長しましたからね」
昭和38年の甲子園は、能代の野球を“次の段階”へ押し上げた出来事でした。
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【選手権大会 1回戦】
能代高校 12-1 長浜北(滋賀)
能代高 425 010 000 12
長浜北 100 000 000 1
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【選手権大会2回戦】
能代高校 1-5 岡山東商(岡山)
能代高 000 000 010 1
岡山東 000 023 00X 5
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昭和36→38→39年へつながる一本の線
昭和36年の秋田国体の能代市営球場 天覧試合
→ 昭和38年の甲子園初出場
→ 昭和39年の新潟国体8強
この数年間は、能代スポーツ史の“覚醒期”だったと私は考えています。
今回の一次資料は、当時の空気と証言がそのまま残されており、あえて私が加筆するところもありません。資料そのものが、能代の歴史の力強さを語ってくれています。
消えた能代市営球場は、実は能代スポーツの覚醒点だったのかもしれません。
参考文献・引用資料
『戦後の証言―能代30年の歩み』
北羽新報社 編・発行(昭和52年刊)
※本文中の引用は同書「昭和38年 能代高校甲子園初出場」記事より抜粋。