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盛岡に暮らして10年目の春に気づいた ― 岩手県だけが抱える医療の特異点と、岩手医大の存在意義

盛岡に暮らして10年目の春に気づいた
― 岩手県だけが抱える医療の特異点と、岩手医大の存在意義 ―


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盛岡市に住んで10年目の春になり、この土地の空気にも街のリズムにもすっかり馴染んできました。そんな中で、ふとした会話をきっかけに「岩手県の医療は全国でも唯一の構造を持っている」という事実に気づきました。それは、私が子どもの頃に秋田県で聞いていた医療に関する記憶ともつながっていきました。

■ 岩手県は47都道府県で唯一
国公立の医学部が存在しない県です。

国立医学部はありません。
県立医学部もありません。
市立医学部もありません。
当然ながら、官立の大学附属病院も存在しません。

47都道府県の中で、官立医学部がゼロなのは岩手県だけです。
そのため、岩手県の大学病院は私立の岩手医科大学附属病院のみという構造になっています。

盛岡に10年住んでいても、この事実を知る機会はほとんどありませんでした。むしろ「岩手医大があるのが当たり前」という空気が強く、私立か国立かという区別すら意識されないほど地域に根付いていると感じます。

■ なぜ岩手県だけが官立医学部ゼロなのか
理由は歴史の中にあります。

戦後すぐの1947年に岩手医科大学が誕生しました。国が医学部を増設する際の方針は「医学部がない県を優先する」というものでした。そのため、岩手県は“無医大県”として扱われませんでした。

1970年代の「一県一医大構想」でも、秋田・山形・福島には国公立医学部が新設されましたが、岩手県は「すでに岩手医大がある」と判断され対象外になりました。つまり、岩手医大が反対したというより、最初から国立医学部が生まれる余地がなかったというのが実態に近いと感じます。

■ 子どもの頃に聞いた「盛岡にはあるのに秋田にはない医療設備」
1970年代、秋田県で育った私は「秋田にはない医療設備が盛岡にはあるらしい」という話を耳にしていました。当時は理由もわからず、ただ“盛岡は医療が進んでいる”という印象だけが残っていました。

今になって構造を知ると、その記憶が意味を持ち始めます。

1970年代の盛岡では、私立の岩手医大が独自に最新設備を導入し、国立より設備投資が早かったと言われています。県内医療の中心として成熟していたのです。一方、秋田は医学部ができたばかりで、設備も人材も整備途上でした。

つまり「盛岡の方が医療が進んでいる」という当時の感覚は、歴史的に見ても正しかったのだと感じます。

■ もし岩手大学に医学部があったら
盛岡に住んで10年、岩手県の地理や医療事情が見えてくると、自然とこう思うようになりました。

「もし岩手大学に医学部があって、沿岸部に置かれていたら、県の医療地図は変わっていたのではないか」

医学部は“置かれた場所に医師が集まる”という強い法則があります。もし沿岸に国公立医学部があれば、沿岸の医師不足は大幅に改善し、盛岡一極集中が緩和され、震災後の医療復興も違った形になっていた可能性があります。岩手医大と岩手大学の二極構造が生まれ、県全体のバランスは大きく変わっていたはずです。

■ 岩手医大の存在意義
ただし、岩手医大が果たしてきた役割は非常に大きいと感じます。

県内唯一の医師養成機関として、高度医療の中心として、そして県立中央病院や矢巾の附属病院との連携を通じて、盛岡の医療レベルを押し上げてきました。もし岩手医大がなかったら、岩手県の医療はもっと厳しい状況だったと思います。

岩手医大は「私立でありながら県医療の柱」という全国でも珍しい存在です。

■ 盛岡10年目の春に思うこと
盛岡に暮らして10年。この街の医療の歴史を知るほど、「岩手は特別な構造の上に成り立っている」ということを実感します。

官立医学部がない唯一の県であること。
私立医学部が県医療の中心であること。
1970年代から続く医療の地理的偏り。
そして岩手医大の存在意義。

これらは、盛岡に住んで初めて見えてきた“岩手のリアル”です。

子どもの頃に聞いた「盛岡にはあるのに秋田にはない医療設備」という記憶が、50年の時を経てようやくつながったように感じます。

 

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岩手医科大学の歴史から紐解く 東北を支える医科大学の創立と発展 | メディカルノート