「“申し訳ございません”が謝らない時代——言葉の防波堤と責任の所在」

最近、職場のメールや会話の中で「申し訳ございませんが」という表現を頻繁に見かけるようになりました。特に、ちょっとした依頼や連絡の冒頭にこの言葉が添えられていることが多く、もはや定型句のように使われている印象すらあります。
たとえば、「申し訳ございませんが、資料を再送いただけますか」「申し訳ございませんが、会議の時間を変更させてください」といった具合です。もちろん、丁寧な言葉づかいは大切ですし、相手への配慮としてのクッション言葉も必要でしょう。
しかし、気になるのは、本当に謝罪が必要な場面では、誰も「申し訳ございません」と言わないという現象です。軽微なやりとりでは過剰に謝る一方で、重大なトラブルや明らかなミスが起きたときには、誰もが口をつぐんでしまう。あるいは、責任の所在を曖昧にするような言い回しで、謝罪の言葉を避けてしまうのです。
このような言葉の使われ方を見ていると、「申し訳ございません」が本来持っていた“謝罪の言葉”としての意味が、徐々に薄れてきているように感じます。むしろ、責任を回避するための“防波堤”として使われているのではないかとすら思えてきます。
また、こうした言葉の使い方は、組織の構造とも無関係ではありません。表向きにはフラットな関係性を装いながら、実際には上意下達の構造が温存されている。上位者が「申し訳ないけど、よろしくね」と言えば、丁寧なようでいて、実は責任を下に押し付けているだけという場面もあります。
思い返せば、以前勤めていた職場でも、「申し訳ございませんが」が飛び交っていました。特に印象的だったのは、ある部署でトラブルが発生した際のことです。普段は些細なことで「申し訳ございません」と言っていた人たちが、そのときばかりは誰一人として謝罪の言葉を口にしませんでした。まるで、「謝ったら負け」とでも言わんばかりの沈黙が、職場を支配していたのです。
言葉は、ただの飾りではありません。言葉は、思考と姿勢を映す鏡です。だからこそ、言葉の使い方には、その人の誠実さや責任感がにじみ出ます。
「申し訳ございません」という言葉が、本来の意味を取り戻すためには、まず私たち一人ひとりが、言葉に責任を持つことが大切なのだと思います。謝るべきときには、きちんと謝る。丁寧さを装うのではなく、誠実さを伝える。そんな言葉の使い方を、これからも大切にしていきたいと感じています。