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“なんて言うんだろう”が語らない時代——言葉の空白と責任の所在

「“なんて言うんだろう”が語らない時代——言葉の空白と責任の所在」

 


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近年、会話の中で「なんて言うんだろう」という言い回しを耳にする機会が増えました。テレビのバラエティ番組や情報番組、さらには職場の会議や日常の雑談においても、この表現が頻繁に使われています。

「なんて言うんだろう」は、一見すると言葉を丁寧に選ぼうとする姿勢のようにも映ります。しかし実際には、その後に続く言葉が曖昧であったり、特に深い意味を持たなかったりすることも少なくありません。結果として、この表現は“考えているふり”や“言葉を濁すための前置き”として機能しているように感じられます。

同様に「うまく言えないけど」という言葉も、会話の中ではよく使われます。これらの表現は、話し言葉としては自然であり、相手との距離を縮めたり、感情の揺らぎを伝えたりする効果もあるでしょう。しかし、文章においてはどうでしょうか。

文章は、言葉を選び、構造を整え、意味を明確に伝えることが求められます。「なんて言うんだろう」や「うまく言えないけど」といった表現は、文章の中では意味を持たず、むしろ読者にとっては“読みづらさ”や“曖昧さ”の原因となりかねません。特にビジネスメールや報告書においては、こうした言葉が混じることで、要点がぼやけ、意図が伝わりにくくなることもあります。

実際、こうした話し言葉を多用する方の文章には、構造の不明瞭さや主語の欠落、結論の不在といった特徴が見られることがあります。箇条書きや結論先出しといった基本的な文書作法が身についていないまま、曖昧な表現で埋め尽くされたメールが社内を飛び交う様子は、決して珍しいものではありません。

言葉は、単なる情報伝達の手段ではなく、思考の器でもあります。言葉が曖昧になれば、思考もまた曖昧になります。だからこそ、私たちは「言葉を尽くす」ことの意味を、今一度見つめ直す必要があるのではないでしょうか。

「なんて言うんだろう」と言わずに、言葉を選び、言い切る。その姿勢こそが、相手への敬意であり、自らの思考への責任でもあるように思います。