仙岩トンネルを越えて、季節と暮らしを行き来する。
秋田市と盛岡市を定期的に往復する生活が続いています。契約社員としての仕事を続けながら、休日は秋田で過ごし、週明けには盛岡へ向かいます。その移動の要となるのが、国道46号線にある仙岩トンネルです。
このトンネルは、単なる交通の通過点ではなく、私にとっては生活の切り替え地点のような存在です。秋田では地元の空気に包まれ、野球観戦やブログ作成など、心を緩める時間が流れます。一方、盛岡では契約社員としてではありますがそれなりの緊張感ある日々が待っています。仙岩トンネルをくぐることで、自然と心のモードが切り替わるのを感じます。
トンネル付近の風景は、季節ごとに表情を変えます。春は新緑が山肌を覆い、トンネルの入口付近では若葉が風に揺れて、目にも優しい景色が広がります。夏になると、爽やかな風が谷間を吹き抜け、車窓から見える青空と深緑のコントラストが印象的です。秋には紅葉が見事で、赤や黄色に染まった山々がトンネルの前後に広がり、思わず車を止めたくなるほどの美しさです。そして冬は、雪に覆われた静かな峠道。トンネルの中は暗く静かで、外に出ると一面の銀世界が広がっています。
この道を通るたびに、ラジオの電波も変わります。秋田側では音楽中心の番組が流れ、情緒的な空気が漂います。盛岡側に入ると、トーク中心の番組が耳に届き、地元の話題や人情話がテンポよく展開されます。電波の切り替わりが、まるで地域の“声”の変化を告げているようで面白いものです。トンネル内では電波が不安定になり、ふと静寂が訪れます。その瞬間、車内は自分だけの空間になり、考え事をしたり、過去の記憶に浸ったりする時間が生まれます。
昔のドラマ『男女7人秋物語』では、橋が人と人との結びつきの象徴として描かれていました。私の場合は、それがトンネルです。橋が“人と人をつなぐ”なら、トンネルは“自分の内面と向き合う場所”。電波が途切れ、静寂が訪れるその空間で、過去の記憶や未来への思索がふと浮かびます。
またふと思い出すのは、川端康成の『雪国』の冒頭。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」──この一文が、現実と非現実の境界を象徴しているように、私にとっての仙岩トンネルもまた、二つの世界を分ける境目なのかもしれません。トンネルを抜けることで、空気の匂いが変わり、風景が変わり、心の在り方まで変わるようです。
このような生活を続ける中で、二重生活の良さにも気づくようになりました。たとえば、家族と毎日顔を合わせることで生まれがちな摩擦も、距離を置くことでかえって関係が円滑になることがあります。久しぶりに会えば、互いの存在がありがたく感じられ、会話も穏やかになります。
また、仕事のストレスを家に持ち込まないという点でも、助かっています。職場での緊張感や責任は、職場で完結させる。家に帰れば、まったく別の空気の中で過ごすことができる。これは「亭主元気で留守がいい」という言葉の、ある意味で理想的な形かもしれません。
生活そのものも、オンとオフを切り替えるスイッチのように機能します。盛岡では業務に集中し、秋田では地元の空気に包まれて心を緩める。このリズムが、心身のバランスを保つうえで大きな支えになっています。
仙岩トンネルは、私の生活の中にある小さな物語の舞台です。これからもしばらくは、このトンネルを通って、二つの世界を行き来します。その道のりには、誰にも語られていない私だけの“季節の物語”が、静かに流れています。
トンネルの向こうにある、もうひとつの日常。それは、季節と心の移ろいを感じながら、自分らしく暮らすための大切な時間です。
