四方山話に時々音楽と高校野球

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体育会気質と社会の変化──暴力を否定する“民度”を育てるには 

甲子園の季節になると、全国の高校球児たちの姿に胸が熱くなります。
しかしその裏側には、育成環境の課題、とりわけ「寮生活」や「体育会的体質」に関する根深い問題が存在しています。

かつての部活動では、軍隊的な上下関係や理不尽な指導が当たり前でした。
寮生活では逃げ場がなく、いじめや暴力が自然に発生することも珍しくありませんでした。
それでも昭和の時代には、それが「良し」とされ、社会に出ても“耐性”として評価されてきました。企業もまた体育会的な体質を持ち、根性・我慢・忠誠心が美徳とされていたのです。

しかし令和の今、価値観は大きく揺れています。
暴力やハラスメントは否定され、個人の尊重や多様性が重視される時代になりました。
ただ、現場の指導者たちの多くは、まだ“仕方なく時代に合わせている”という空気をまとっています。
本心では昭和の指導を良しとしているものの、社会の目を気にして表面上は抑えている――そんな姿勢が見え隠れしています。

暴力を否定するには、ルールだけでは不十分です。
必要なのは、民度だと思います。
人間は本能的に上下関係を作り、時に支配や排除に走ります。
だからこそ、自制できる心を育てる環境が求められます。
それは教育だけでなく、空気や文化の中で育まれるものです。
「怒られるからやらない」のではなく、「やると誰かが傷つく」と感じられる力こそが、社会を変える鍵になるのではないでしょうか。

最近では、プロ野球OBのYouTubeチャンネルなどで、昭和の体育会文化を懐かしむ笑い話が多く見られます。
極限体験を笑いに昇華できる語りの厚みは、体育会出身者ならではの魅力です。
しかし、それを美化するだけでは、次の世代に同じ苦しみを背負わせることになりかねません。

部活も社会も、民度を上げなければ本当の意味で成長しないと思います。
50年かかるかもしれません。
でも、今語ることに意味があるはずです。
昭和を知り、令和を生きる者として、語り継ぐ責任があるのではないでしょうか。