四方山話に時々音楽と高校野球

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分断の修復へ──新保守が灯す道

戦後80年を経た日本の現在地

先の参院選の結果をみての戦後の日本は、高度成長、価値観の多様化、情報の爆発などを経て、現在では「分断の時代」に入ったように感じています。都市と地方、SNSと現場、世代間の間に横たわるのは、単なる経済格差ではなく、“経験”や“感覚”の断絶です。このような断絶は、政治との距離感や違和感を生む要因にもなっていると考えます。

その中で私が希望を感じた言葉が「分断の修復」でした。分断を嘆くだけではなく、繕っていくこと。その営みにこそ、政治が向き合うべきだと思っています。

参議院 選挙[開票結果]石破首相が続投を正式表明…自民・公明が過半数割れ、参院でも「少数与党」に : 読売新聞

 

分断とは何か:日本の暮らしのなかで起きていること

現代の分断は、明確な対立というよりも、“つながれないこと”によって静かに進行しているように感じます。教育観や歴史認識の変化、食や農など生活信条の“宗教化”ともいえる傾向、地域や世代によって共有されない記憶、そして情報の断片化などがその要因です。

このような分断を修復するには、“対話以前の関係性”を再構築することが重要なのではないでしょうか。

新保守とは何か:分断を超える保守の可能性

「新保守」という言葉は、理念ではなく、暮らしに根ざした保守の姿を示しているように思います。地域、伝統、家族への敬意や、歴史を語り継ぐ営み、小さな物語を継承する姿勢、そして中央ではなく現場から発する政治の在り方などが挙げられます。

参政党や日本保守党の活動の一部には、こうした修復の要素が見受けられます。ただし、思想が強く先鋭化しすぎると、保守であっても「敵と味方」の構図が生まれかねません。政治が「分断の修復」を目指すためには、“保守の名を借りた分断”に対する自省も必要だと思います。

分断を繕う記録者として

高校野球の分析や伝統行事の記録、風土の探訪など、分断された時代において人と人をつなぎなおすヒントが詰まっていると感じています。

分断の修復は、大きな理想ではなく、小さな接着から始まるものではないでしょうか。その一つの試みとして、この考えや記憶をここから先は記しておきたいと思います。