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工藤幹夫さんを偲んで──1982年の栄光と昭和53年・本荘vs能代の記憶

  【元日本ハム・工藤幹夫さん、肝不全のため死去──享年55歳】

本日夕方、徳島からの帰路、高速道路のサービスエリアでスマホを見た瞬間、目に飛び込んできたのは、あまりにもショッキングな訃報でした。工藤幹夫さんが肝不全のため55歳で逝去されたとのこと。心から残念でなりません。

全国的には、1982年シーズンに最多勝を獲得したことで知られる工藤投手。もう記憶している方も少ないのではと思っていましたが、SNS上では多くの追悼の声が寄せられており、その存在の大きさを改めて感じました。

あの年の活躍、そして西武とのプレーオフでの、怪我をおしての大勝負──。私は工藤投手と同じ秋田県出身ということもあり、1980年代の阪急・山田、ロッテ・落合、そして日本ハム・工藤幹夫の活躍は、当時とても誇らしく、嬉しいものでした。

工藤投手は私より1学年上。ほぼ同世代です。昭和53年の選手権・秋田県大会決勝、本荘高校と能代高校の一戦は、今も鮮明に記憶に残っています。私はあの試合を、三塁側スタンドから観戦していました。あの熱戦を生で見られたことは、今となっては本当に貴重な体験です。

▼第60回(昭和53年)秋田県大会決勝  
本 荘  000 000 020 = 2  
能 代  000 003 00x = 3

ネットで当時のスコアを探してみました。能代が中盤に先制し、終盤に本荘が追い上げる展開。まさに紙一重の勝負でした。

現在では「能代・高松投手 vs 本荘・工藤投手」の投げ合いとして評価の高い決勝戦ですが、当時は秋田市内の高校同士の対戦が多かったこともあり、県内でもメディアの注目度はそれほど高くなかったと記憶しています。

この試合の価値が高まったのは、後に工藤投手がプロで活躍し、また甲子園での能代・高松投手の箕島戦での熱投があったからこそだと思います。

肝不全とのこと。Twitterの情報では、お酒が好きだったとも。秋田県出身の投手では、石戸四六さんも“酒仙投手”として知られ、短命でした。工藤投手もまた、早すぎる別れとなってしまいました。

それでも、多くの人が忘れずに憶えています。1982年のシーズン、西武とのプレーオフ、そして秋田県のある年代以上の高校野球ファンにとっては、あの夏の本荘-能代の決勝戦は、決して忘れられない記憶です。

心よりご冥福をお祈りいたします。