2016-05-13 工藤幹夫投手逝く(秋田県立本荘高校→日本ハム) 高校野球いろいろ 元日本ハム工藤幹夫さん肝不全のため死去 55歳http://www.nikkansports.com/baseball/news/1646627.html 本日の夕方 徳島からの帰路で高速道のSAでスマホみたら いきなりこのショッキングな訃報。 残念です。全国的には最多勝を獲得したのは、1982年のシーズンなので もう憶えている方も少ないのかなと思ってましたが、tweetの発信は多かった。あのシーズンの活躍、そして西武とのプレーオフでの、怪我をおしての大勝負。 私は工藤投手と同じ秋田県出身なので、80年代の阪急-山田 ロッテ-落合 そして日本ハムの工藤投手の活躍は、当時はとても嬉しかったですよ。工藤投手は私より1学年上になりますので、ほぼ同世代。 昭和53年の選手権 秋田県大会の決勝は接戦でした。 当時3塁側スタンドで熱戦を観戦できたのは今となっては貴重です。 ▼第60回(昭和53年) 本 荘 000 000 020 2 能 代 000 003 00x 3 当時のスコアをネットから探してみました。能代が先制、後半本荘が追い上げる。 勝負は紙一重の差しかありませんでした。現在は、能代-高松投手 本荘-工藤投手の 投げ合いということで、評価が高い決勝戦となっておりますが、 当時から秋田市内同士の決勝戦がほとんどだった為、それほど県内もメディアも 注目していなかったと記憶しています。この試合の評価は、後に工藤投手の活躍と 甲子園での能代-高松投手の箕島戦の熱投が、この決勝戦の価値を高めたと思ってます。 肝不全か・・・・ Twitterからの情報だとお酒が好きだったんだな。秋田県出身の投手で石戸四六氏も酒仙投手で短命でした。工藤投手も早すぎる。それでも多くの人が忘れずに憶えているよ、1982年のシーズンと西武とのプレーオフ。 さらに秋田県のある年代以上の高校野球ファンは あの夏の本荘-能代の決勝戦は、忘れないよ。 心よりご冥福をお祈りいたします。