四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

同級生の訃報に触れて──それぞれの道、それぞれの時間

帰宅して、PCの電源を入れる。  
いつものように、ヤフーニュースやライブドアなど、いくつかのメディアのホームページをざっと確認する。  
その中で、ふと目に留まった名前──偶然にも、同級生の名前だった。

事故による死亡のニュース。  
一瞬、目を疑った。けれど、名前と年齢、出身地を見て、間違いないと確信した。

特に深いつき合いがあったわけではない。  
卒業以来、会ったこともなかったし、連絡を取ることもなかった。  
昨日までは思い出すことすらなかった──けれど、それはお互い様のことだろう。

それでも、ある時代の短い期間、同じ地域で、同じような時間を過ごした。  
同じ教室で、同じ空気を吸い、同じ季節を感じながら、日々を生きていた。  
家に遊びに行った記憶も、今となってはぼんやりとしながらも、確かに残っている。

同期がひとり、またひとりとこの世を去っていく。  
それは本当に寂しく、残念なことだ。  
そして何より、身近で日々を共にしていたご家族や親しい方々の悲しみは、  
私の想像を遥かに超える深さであることだろう。

卒業以来、彼がどんな人生を歩んできたのか、どんな日々を過ごしていたのか、  
私には知る由もない。  
けれど、きっと彼なりの時間を、彼なりの歩幅で、懸命に生きていたのだと思う。

私たちは皆、それぞれの道を歩いている。  
誰一人として、まったく同じ人生を歩む人はいない。  
交差することもあれば、すれ違うこともある。  
そして、いつかは誰もが、その道の終わりにたどり着く。

私自身も、明日どうなるかはわからない。  
それは、誰にとっても同じこと。  
だからこそ、どんな状況であっても、「明日が来る」ということ自体が、  
実はとてもありがたいことなのかもしれない。

日々の忙しさに追われ、つい忘れてしまいがちな「今、生きている」という実感。  
それを、ふとしたニュースが思い出させてくれることがある。

ご冥福を心よりお祈りします。  
そして、彼の歩んだ人生に、静かな敬意を。

では、今日はこのへんで。