先日ガソリンスタンドでのオイル交換での待ち時間、
ふと目にしたスポーツ新聞の小さな記事で退団を知りました。
1962年生まれ、私より1学年下で、同じ秋田県出身、ほぼ同世代、
甲子園でも、秋田商業のエースとして夏春夏と3季連続の出場
秋田商 79年夏● 2 - 5 ○ 広島商
80年春○ 6 - 1 ● 鹿児島商工
○ 9 - 3 ● 静岡
● 0 - 2 ○ 帝京
80年夏 ○ 3 - 2 ● 田川(福岡)
● 0 - 3 ○瀬田工(滋賀)
秋田県の高校野球ファンであれば、忘れられない選手の一人です。
私にとっては、高山投手といえば、やはりこの試合。
1980年第62回選手権 秋田県予選決勝
能 代 001 000 000 00 1
秋田商 000 000 001 01x 2
※延長11回
9回の裏に追いつかれた能代高校が、
延長の末に涙をのんだ試合、
勝者の秋田商業 高山選手も涙・なみだの激闘でした。
秋田商業時代から、プロ注目の本格派
高校2年の時から、甲子園でも注目されました。
ウイキペディアで経歴の足跡をみると
怪我さえなければ、もっともっと実績残せた選手と思いました。
プロ入り後も、けっこう苦難が続いておりましたが、
ホークスでは秋山監督と共に、日本一の投手陣をつくりあげました。
今季は成績不振の責任の一端をとっての退団となりましたが、
また再びどこかの球団のユニフォームを着て、
帰ってきてほしいと思っております。