浜田省吾さんのファンであれば、「ハロー~」と聞けば真っ先に思い浮かぶのは「ロックンロール・シティ!」でしょう。
一方、アラフィフ世代の今、「ハロー~」といえば、最近は「ワーク」かもしれません。
本日の“ハロー”は、村上龍さんの小説『55歳からのハローライフ』から。
購読している「四国新聞」で、ほぼ毎日連載されているこの作品。連載は昨年の12月ごろから始まっていたようですが、私が注目するようになったのは、ここ最近のことです。
村上さんの作品には『13歳のハローワーク』という名作があり、タイトルを見た瞬間、条件反射的に「ハローワーク?」と思ってしまいました。
まだ断片的にしか読めていませんが、村上龍さんの作品であれば、きっと期待できる内容だろうと感じています。
連載開始当初は読んでいなかったため、完結後に書籍化されたら、改めてじっくり読んでみたいと思っています。
ちなみに『13歳のハローワーク』では、なんと500以上の職業が紹介されているそうです。
私の時代には、そんな素晴らしい企画は存在せず、それが理由というわけではありませんが、10代からアラフィフの今に至るまで、明確な職業観を持たずに生きてきたように思います。
本来、幸せなのは「自分が一番好きなことを仕事にできること」ですが、それが叶う人はごく一部。
多くの大人は、生活のために不本意な仕事をしているのが現実です。
しかし、不本意だと思っていた仕事が、実は自分に向いていたり、後から興味が湧いてくることもあります。
スポーツ、ギャンブル、遊び、そして仕事も──面白さや興味が芽生えるまでには、努力と時間が必要なのだと思います。
10代の頃から「これがやりたい」と明確に職業を決められる人は、本当にすごいと思います。
私の場合は、アラフィフになった最近になってようやく、「もしかしたら、これがやりたかったのかも?」と感じることが出てきました。
10代~20代の頃には、そんな感覚はまったくありませんでした。
若き天才と呼ばれる人たちは、職業観そのものが凡人とはまったく違うのでしょう。
最初からピンポイントで進む道が決まっている。まるで何回目かの人生を生きているような風格さえ感じます。
たとえば石川遼選手などは、すでに3回目の人生を生きているような雰囲気すらあります。
さて、『55歳からのハローライフ』に話を戻します。
55歳という年齢は、ついこの間まではずっと先のことのように思っていましたが、私にとってはもう目前。
その先の60歳も、すぐそこに見えてきています。
13歳の頃には無限に広がっていた未来も、アラフィフ世代になると一見“有限”に見えてしまいます。
けれど、実際にはまだまだ先のことなんて誰にもわかりません。
明日、突然無職になって、「55歳のハローワーク」状態になるかもしれない。
わからないからこそ不安もありますが、逆に言えば、わかりすぎていたら人生は面白くないのかもしれません。
話がまとまりませんが──
明日も、生きていきます。
では、今日はこのへんで。ではまたです。