西本幸雄監督を偲んで:パ・リーグに生きた名将の記憶
阪急ブレーブス・近鉄バファローズを率いた西本幸雄監督の訃報が、昨日入ってきました。心よりご冥福をお祈りいたします。
西本監督といえば、まず思い出すのは、子どもの頃に見たV9巨人軍に挑んだ阪急ブレーブスの監督時代。王も長嶋も全盛期。一方の阪急は、山田久志や足立光宏といった若手が中心でした。
山田投手から王選手が放った、あの逆転サヨナラスリーランは衝撃的でした。アンチ巨人だった私は、地元・秋田出身の山田投手がいる阪急を応援していたので、なおさら印象に残っています。
その後、西本監督は近鉄バファローズの監督としてもパ・リーグ連覇を達成。相手は山本浩二・衣笠祥雄を擁する赤ヘル・広島カープ。3勝3敗までもつれた末、日本一には届きませんでしたが、「江夏の21球」は今も語り継がれる名場面です。
当時のメディアでは、パ・リーグの選手の映像は少なく、日本シリーズはパ・リーグの選手たちをじっくり見られる貴重な機会でした。近鉄の平野、小川、羽田、石渡、佐々木、栗橋といった選手たちは、新聞で名前は知っていても、映像でプレーを見るのは初めてで、みんないい感じの“オッチャン”に見えたものです。
伝説と記録でしか知りませんが、昭和35年の大毎オリオンズ vs 大洋ホエールズの日本シリーズ。第2戦、満塁のチャンスでスクイズを仕掛けるも失敗し、ダブルプレー。流れは大洋に傾き、結果的にシリーズを落とし、リーグ優勝を果たしながらも西本監督は解任されてしまいました。
スクイズで2度もビッグタイトルを逃しただけに、ファンとしては、いつかスクイズで決勝点を挙げて日本一になる姿を見たかった。そんな思いを抱いていた方も多かったのではないでしょうか。
西本監督のすごさは、阪急も近鉄も、引き受けた当時はBクラスの弱小チームだったということ。そこからチームを育て上げ、常勝チームにまで押し上げた手腕は見事でした。当時は今と違って、メディアの注目も少なかったパ・リーグ。その中で一貫してパ・リーグに身を置き、地道にチームを強くしていった西本監督の功績は、計り知れません。
このところ、昭和の星が次々と去っていき、寂しさを感じる日々です。2011年も、もうすぐ12月。今晩は、ひときわ寒い夜ですね。
では、またです。