
夏の甲子園で、これまで私が見てきた秋田県勢の印象深い試合を、当時のエピソードを交えながら勝手に綴っていきます。記録としてのスコアだけでなく、記憶としての風景や感情も含めて、語り部としての視点で振り返ります。
■1976年(昭和51年)第58回大会・2回戦
秋田商業 ●4-5○天理
【ランニングスコア】
秋田商:3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0|4
天 理:0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 1|5
秋田商は2年連続出場の2年目。投の山岡、打の武藤と好選手が揃い、スポーツ紙でもAクラスの評価だったと記憶しています。特にこの試合では、武藤選手が好機で敬遠された場面が印象的でした。彼は南海ホークスからドラフト1位指名を受けた逸材で、指名を拒否した際には、当時の野村監督が秋田まで説得に訪れた映像が県内ニュースで流れていたのを覚えています。
■1978年(昭和53年)第60回大会・1回戦
能代 ●0-1○箕島
【ランニングスコア】
能 代:0 0 0 0 0 0 0 0 0|0
箕 島:1 0 0 0 0 0 0 0 ×|1
能代高校が2年連続出場した2年目の夏。私も在学中で、県予選決勝の本荘戦には応援に行きました。今にして思えば、甲子園にも応援に行くべきだったと悔やまれます。あっという間の惜敗。甲子園で校歌が流れたのは、さらに14年後のことでした。
■1984年(昭和59年)第66回大会・1回戦
金足農業 ○6-3●広島商業
【ランニングスコア】
金足農:2 1 0 0 1 0 0 0 2|6
広島商:0 1 1 0 0 0 0 1 0|3
春のセンバツにも出場した金足農業が、県勢として初めて広島商業に勝利した試合。当時、バイト先で一緒だった広島出身の大学の先輩は「絶対勝つ」と自信満々でしたが、翌日には「金足農は本当に強い」と驚いていたのを思い出します。この大会は勢いに乗り、ベスト4まで勝ち上がりました。
■1984年(昭和59年)第66回大会・準決勝
金足農業 ●2-3○PL学園
【ランニングスコア】
金足農:1 0 0 0 0 0 1 0 0|2
PL学園:0 0 0 0 0 1 0 2 ×|3
秋田県内では語り草となっているこの試合。私はリアルタイムで観戦できませんでした。就職活動の真っ只中で、都内を移動中。カーラジオから「1-0でリード中」と聞こえてきた瞬間の高揚感は今でも覚えています。結局その会社とは縁がなく、今にして思えば「面接より試合を見ていればよかった」と思うほどの名勝負でした。
■1990年(平成2年)第72回大会・2回戦
秋田経法大付属 ○3-2●育英
【ランニングスコア】
育 英:0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0|2
経法付:0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 0 1|3
私の中でベストゲームのひとつ。前年ベスト4の中川投手を擁する経法大付の2年目の夏。この年は「全国制覇もあるのでは」と本気で思っていました。試合当日は実家に帰省中で、友人と海水浴に出かけた海の家(たしか出戸浜)で観戦。サヨナラ勝ちを確認して帰宅すると、父が酒を飲んで幸せそうに寝ていた――そんな夏のひとコマが今も鮮明に残っています。
■1990年(平成2年)第72回大会・3回戦
秋田経法大付属 ●2-3○横浜商業
【ランニングスコア】
横浜商:0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 0 1|3
経法付:0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0|2
帰省から戻った横浜市の職場の休憩室で観戦。周囲は当然、神奈川県代表の応援ムードで、私は完全にアウェー状態。それでも、兵庫県代表・育英、神奈川県代表・横浜商業という強豪校との2試合連続延長戦は、秋田県勢として誇らしい戦いぶりでした。カッコよすぎる、そんな言葉が自然と出てくる試合でした。
■感想
高校野球は、勝敗だけでは語り尽くせない“記憶の器”だと、あらためて思います。今回振り返った秋田県勢の試合は、どれもスコアの奥に、私自身の人生の断片が刻まれていました。
応援に行けなかった悔しさ、ラジオ越しの興奮、海辺での歓喜、職場での孤独な応援――それぞれが、私の“夏”を形づくってきました。これからも、語り部としてこうした記録を残していきたいと思います。秋田県勢の次なる勝利を願いながら、そしてまた、私自身の“夏の記憶”がひとつ増えることを楽しみにしながら。