四方山話に時々音楽と高校野球

高校野球・浜省推し・スピリットは1980年代

高校野球の季節~1977年 奥羽大会決勝戦から

昨日に続いて、今日も高校野球について書きます。下記の昭和52年奥羽大会決勝戦のゲームは三沢-松山商の決勝戦に匹敵する、忘れられない一戦のひとつです。

 

昭和52年奥羽大会

決 勝 (7月31日)

 

能 代(秋田) 000 000 200 2

秋田商(秋田) 100 000 000 1

能代は昭和38年以来、

14年ぶり2回目の夏の甲子園出場

 

私は、昭和55年(1980年)まで、秋田県能代市で すごしました。これまでの地元の能代高校は、いつも秋田市勢に甲子園を阻まれてきました。

小学校から中学までは、秋田市立、秋田商、秋田が甲子園出場を占めていました。

この年は2年生エースの高松投手を擁し前年の秋と本年の春が全県優勝、東北大会 準優勝をひっさげて、第一シードで臨んだ年 でした。

学校、能代市民は甲子園に久々いけると意気込んでおり、たどり着いた決勝戦でした。

試合は、高松投手の立ち上がりで1点を秋田商 に先制され、ジリジリと回だけを重ね攻めきれないままに、終盤7回になりました。

ここからは記憶になりますが、7回無死から長打でランナー2塁。テレビの前の私は バントで3塁に送り、先ずは同点だろと 勝手に思っていました。ここで能代 太田監督は打者 高松投手に、まさかの強攻策。

テレビの前で 倒れそうになりました。しかし次の瞬間 打球は ライナーでライトスタンドへ。甲子園を決めた 一発となりました。私の考えは浅はかでしたが、忘れられないシーンとなりました。

もう50歳近くになりますが、このシーンは これまでのオリンピックワールドカッププロ野球含めて、私の 忘れられないスポーツ名場面の10位以内 には入ります。

まだ家庭用VTRも充実していない時代だけに、映像でもう一度見たいシーンです。

 

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