四方山話に時々音楽と高校野球

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夏の記憶 - 昭和52年奥羽大会の感動を再び

昭和52年の奥羽大会決勝戦は、私にとって忘れられない一戦です。三沢と松山商の伝説的な決勝戦に匹敵するほどの熱戦でした。能代高校は昭和38年以来、14年ぶりに夏の甲子園出場を果たしました。私が能代市で過ごした昭和55年まで、地元の能代高校は常に秋田市勢に甲子園の道を阻まれていました。秋田市立、秋田商、秋田が出場権を独占していたのです。

しかし、この年は異なりました。2年生エース高松投手を中心に、前年秋と当年春の全県優勝、東北大会準優勝という実績を背負い、第一シードとして決勝戦に挑みました。能代市民としては、久々に甲子園への期待が高まりました。

試合は、高松投手が初回に秋田商に1点を先制されるも、7回終盤に迎えた攻撃で、無死二塁からの長打で一気に逆転。私はテレビの前でバントを予想していましたが、太田監督は高松投手に強攻策を命じ、その結果ライトスタンドへのライナーが飛び出し、甲子園出場を決定づける一発となりました。私の考えは浅はかでしたが、このシーンは今でも鮮明に記憶に残っています。

50歳を目前にしても、この試合の記憶は、オリンピックやワールドカップ、プロ野球を含め、私のスポーツ観戦歴の中で最も印象深いトップ10に入るものです。VTRがまだ一般的でなかった時代のため、映像で再びその瞬間を見たいと願っています。

決 勝 (7月31日)

 

能 代(秋田) 000 000 200 2

秋田商(秋田) 100 000 000 1

能代は昭和38年以来、

14年ぶり2回目の夏の甲子園出場

 

 

 

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